凡庸さの回避
奥泉光「神器 ~軍艦「橿原」殺人事件~」のおもしろさを説明するのは、とてもむずかしい。
読者によっては、そのおもしろさを、おもしろいと全然感じないかもしれないからです。
「どこがおもしろいの?」と。
感じないものを感じてもらえるように「説明」する力量に、こちらも、少なからず欠けるわけですし、まあ、はじめから、試みる気もないので、ムリに「説明」はしません。
(「じゃ書くなよー」と言われそうですね)
さて、彼の才能については、疑うべくもありません。
ハマるところにハマれば、相当の傑作を生み出すことでしょう。
惜しむらくは、せっかくハマっているのに(ハマっていると見せかけて)そこを外すことが、みずからの天分と心得ているらしきところです。
芥川賞受賞作「石の来歴」(これは、間違いなく傑作ですが)にも、その萌芽が表れています。
自身がエッセイに書いていたと記憶しますが(記憶違いなら申し訳ありません)新人のころ、応募した作品に対して、「凡庸」(というような意味の横文字でしたが)と評されたことから、自分はもともとそのようなものしか書けないのだと開き直っていました。
そのトラウマが、ミステリー仕立ての作品ばかりを手がけ、読者を煙に巻く、奇抜な展開に持ち込まずにいられないのでしょうか。

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