「存在論的な孤独」について
最近、買物をしすぎて、内省的になっているわけではありません。
「存在論的な孤独」という表現が、当てはまるのかどうか、わかりません。
ただひとりでいるという孤独ではなく、家族や友人や社会のなかにあっても、逃れられず感じる孤独のことです。
不安といってもいいのかもしれませんが、恐れよりも、寂しさや悲しさの感情なので、やはり、孤独と表現するのがふさわしいと思います。
自分の体が、暗黒の宇宙空間にぽつんと浮かんでいることを想像してみます。
その感覚に近いかもしれませんが、少し違う気もします。
何億年という時間軸の一点にあって、一瞬明滅して消える存在。
想像するのは、なかなかむずかしいですが、それに近いかもしれません。
自分自身はもちろんですが、ごく身近な家族についても、そうした「存在論的な孤独」を強く感じるのです。
意味もなく生まれて、意味もなく生きて、意味もなく死ぬ。
その間、意味もなく、苦しんだり、悲しんだり、憎んだり、ときに、楽しんだり、喜んだり、愛したりするわけです。
「存在論的な孤独」は、癒やされることはありません。
虚無の淵を覗いてしまった者は、そこから逃れられなくなります。
目を逸らし、見ないふりをしていても、常に、視野の隅に、それはあります。
なぜなら、虚無は、外にあるものではなく、内にあるものだからです。
なんちて。

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