いつまでも生きがいとか言ってんじゃねぇよ (^^)/

9.19.2012

父の碑

えーと、これは、「2001年宇宙の旅」ではなくて、「島判官紀功碑」といわれるものです。
北海道開拓の父と呼ばれた、島義勇(しま よしたけ)の顕彰碑です。
高さ8m×幅2.2m の巨大な石碑です。
円山裏参道から円山公園に入ると、すぐのところに、建っています。

佐賀藩士 島義勇(1822~1874)は、安政3~4年(1856~1857年)藩主鍋島直正の命を受け、蝦夷地と樺太を探検し、「入北記」という日記を残しています。
明治2年(1869年)その経験を買われ、開拓使判官に就任した彼は、当時、極寒の、無人の原野だった札幌に、整然とした碁盤の目の都を構想しました。
彼は、コタンベツの丘(円山公園)に登り、東の方角を眺めて、「五州第一の都」を夢見たと伝えられています。
いまから140年余り前のことです。

ところが、工事の莫大な費用の調達などをめぐり、第2代長官東久世と対立した島義勇は、わずか半年で、明治政府により更迭されます。
しかし、「独断専行し財政の窮乏をもたらした」とされた彼は、責任を問われるどころか、逆に、大学少監という役職に昇任します。
彼の側に理があったのか、人望か、政治的な配慮があったのか、当時の状況を明らかにするような史料は、見つかっていません。

島義勇は、明治7年(1874年)佐賀の乱に敗れ、江藤新平とともに、斬首されました。
明治22年(1889年)大日本帝国憲法発布に伴い、大赦を受け、その後、従四位を贈られました。

島義勇の50年余りの生涯の中で、札幌の街の建設は、つかの間のエピソードにすぎないかもしれません。
しかし、彼の壮大な構想は、その後、札幌の街づくりに引き継がれています。