自意識への逃避
「ぼくらも社会の一部にくみこまれてネジか何かの様に働くことを考えねばならないのかもしれません」(尾崎豊の創作ノート)
わかってないね、きみは。
ネジか何かのように働くことは、屈辱だとでも思っているのかい?
ネジが壊れれば、その機械は、やがて正常に動作しなくなるだろう。
きみは、まだネジにすらなっていないし、なれるかどうかもわからないんだ。
ネジにすらなれない者が、他のどんなものになれるというんだい?
社会の一部にくみこまれてネジか何かのように、与えられた役割を果たすことができれば、それだけで上出来の人生じゃないのか。
自分自身を見つめても答はない。
「自分らしく」というような「自分」が、どこかにあるわけじゃないよ。
探せば見つかるとでも?
自分のこと以外に関心を向けたらどうだ。
誰かのために、社会のために、自分を役立てることを考えたらどうだ。
もし、その能力も根気もないとしたら、きみは、それを誰のせいにするつもりだい?
親か、学校か、それとも、世の中のせいかい?
自由に生きたいなんて、ウソつくんじゃないよ。
きみは、自由に怯えているだけじゃないか。

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