恥の文化
また、原発事故の話です。
書きたくもないけれど、書かずにはいられません。
3月3日、首相は、外国プレスとの会見で、原発が炉心溶融に至った刑事責任について問われ、以下のごとく答えたそうです。
(一義的な責任は、運営事業者である東京電力にあるとしながらも)
「政府も、事業者も、あるいは学問の世界においても、安全神話に浸りすぎていたということは、総括として言えるだろうと思う。誰の責任というよりも、誰もがその痛みは、責任は、共有しなければいけないんだろうと思う」
お前は、コメンテーターか。
許されないミス、不作為、ウソ、隠蔽など、これほどの惨事を招いた原因が、歴然としてありながら、なお、責任を逃れようとする者たちがいる。
でも、この事故は、安全神話を信じたみんなの責任だから、特定の誰が悪いとは言えない、と?
違うだろ。
みんなで甘い汁を吸ったのだから、同罪だ。
暗に、そう言いたいだけだろ。
外国のマスコミには、いったいどんなふうに映るだろう。
この国のトップであることが、自分で、恥ずかしくないのか。
いや、本当にトップなら、恥ずかしくもなるかもしれないが、あやつり人形なら、恥を覚えるわけもないか。
恥の文化というが、どこに恥があるんだ。
きっと、村の中にだけあるんだろう。
村の外では、恥でも何でもない。むしろ、仲間を守ったという勲章のようなものかもしれない。
3月5日、東電経営陣(現旧27人)に対し、国内の民事訴訟としては最高額の約5兆5千億円の賠償を求める、株主代表訴訟が、東京地裁に起こされました。

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