いつまでも生きがいとか言ってんじゃねぇよ (^^)/

3.31.2011

お見舞いとお悔やみと怒りを

東北地方の地震と津波の被害の悲惨さには、言葉もありません。
しばらく、ブログを書く気持になれませんでした。
被災された方々には、本当にお気の毒です。
さらに、重大な危機が日本列島を、いや、世界を襲っています。

福島原発事故の収束までは、作業の困難さから、早くて数ヶ月、あるいは1年、もしくは数年。
という幅の広い予想が出ています。
これは、その間、放射性物質が漏れ続けるということです。
「ただちに健康に影響がない」と言われても、大丈夫なのでしょうか?
いまのことより、先のことが心配になります。
文部科学省が原発から20キロ圏外のモニタリング検査を公表しています。
特に、北西方向で大きな値が計測されています。(単位は、マイクロシーベルト/毎時)

 約30キロ地点で 41.6
 約40キロ地点で 8.5
 約45キロ地点で 4.6
 約55キロ地点で 4.0
 約60キロ地点で 2.0

すべて、3/30(水)の測定で、北西方向の地点(屋外)で、降雨なし。
同じ北西方向でも、値にバラつきはありますし、測定時の風向きも微妙に変わるでしょう。
しかし、約40キロ地点での 8.5 を例にとり、そこで1年間、生活するとします。

 8.5×24時間×30日×12か月=73,440マイクロシーベルト

屋内にいる場合は、被曝線量が少ないでしょうが、密閉された場所にいるわけではないので、呼吸もしますし、水も飲みます。
つまり、内部被曝もするので、本当の被曝量はわかりません。
実は、この「本当の被曝量」がわからないというところが、問題なのではないでしょうか。

 73,440マイクロシーベルト=73.44ミリシーベルト

放射線業務従事者が1年間にさらされてよい放射線量の限度は、50ミリシーベルトと定められています。
これは、放射線業務従事者として、累積線量の管理や定期的な健康診断を受けたうえでの数値です。
(一般人が1年間にさらされてよい限度は、わずかに1ミリシーベルトです)
一方、上の地域の住民は、避難指示はおろか、屋内退避もない場所にいて、業務ではなく、ただ生活しているだけで、これを超える線量を浴びる可能性があります。
そして、「本当の被曝量」も知らされず、健康診断も受けられない状態で放置されます。
いったいこれは、どういうことなのでしょうか?

3.09.2011

石ころだらけ

BLOGOS というブログを集めたサイトがあります。
おもしろくて、毎日読んでいたのですが、最近、ちょっとダルい感じです。
ブログですから、いろいろな意見があるのは当たり前ですが、どうも、全体にレベルが低すぎるんじゃなかろうか? と感じ始めています。

低レベルには、3種類あります。
①世間に迎合する、②ムリに人と違う意見を言おうとする、③自分は正しいと微塵も疑っていない。
①と②には、自分の意見というのものがありません。
主張は、正反対のように見えますが、定見がなく、どちらにも転びます。
③には、自分の意見があるように見えますが、その目的は「自分は正しい」ということを主張したいだけです。
フレキシビリティとバランスに欠け、一種の人格障害と変わりません。

こいつはダメだな。というブログは、読まないでいるのですが、それが、だんだん増えてきました。
なかでも、タチが悪いのは、②です。
意図的な売名行為(ヒット数を稼ぐだけ)のために、書いているのでしょうが、ま、ブログなんて、どれも、アフィリエイトプログラムですから、所詮、そんなものです。
玉石混淆などといいますが、このサイトは、石ころだらけです。
(ひがんで言うわけじゃありませんが)

アジア的演出のなかで

「白い巨塔」(テレビドラマ2003年版)をまた見ました。
で、第一内科助教授里見(江口洋介)にまたイラつきました。
彼は、第一外科助教授財前五郎(唐沢寿明)の対極にいる、ステロタイプの存在で、医師の良心を体現する役割です。
彼のなかにある葛藤や逡巡は、折に触れて描かれはするのですが、どうも付け足しにすぎず、結局、決められた役割をなぞるだけという感じです。
もうひとり、良心を体現するのが、前教授東の娘、佐枝子(矢田亜希子)です。
教授選がテーマの第1部では、東家のなかで存在意義もあり、なにより花を添える感じでよかったのですが、医療裁判の第2部では、チョロチョロしすぎて目障りになりました。
いっそ里見と不倫するとか、一風変わった弁護士関口とデキちゃうとか、お嬢様転落のサイドストーリーでもあるならともかく、本筋に関係のないキャラクターを最後まで引っ張るのはムリがありました。

一方、財前五郎は、言わずと知れたキャラクターで、野心家で自信たっぷりの人間ですが、実は、複雑な人格を有しています。
テレビドラマの宿命というべき、大仰な演出により、彼を取り巻く人間模様が、コミカルに戯画化されているなかで、彼(唐沢寿明)だけは、ふしぎと道化に陥らず、悲劇的な存在を見事に演じています。
医療裁判の原告側である佐々木母子も、イライラさせられるキャラクターで、ここらの演出を抑制すれば、多少マシになったかもしれませんが、病院に対し、不信感をつのらせるプロセスが、ぴったり共感できるものではないのと、死に至る患者佐々木庸平が、不快なキャラクター(愛すべきキャラクターを作りそこねています)になっているのが、同情を誘わない要因でしょう。

ところで、病理学の教授大河内も、良心側の役割ですが、これも、不快なキャラクターに仕上がっているのはどうしたことでしょう?
医局員柳原も、医師よりも人間として、いかにあるべきかみたいな、悩める青年を演じますが、良心の呵責に耐えられず、というより、ただ単に性格の弱さばかりが目立って、不快に感じられます。
これらは、ふしぎなことですが、たぶん、唐沢寿明が、財前五郎の多面的な性格を、重すぎず軽すぎず、ごく自然に演じ分け、見る者を、この魅力的な人物に感情移入させるからでしょう。
全編、単純明快なアジア的演出のなかにあって、これは、かなり稀有なことではないかと、考えすぎかもしれませんが、思いました。

3.03.2011

ジョブズ登壇

iPad 2 の発表会には、なんと、病気療養中のジョブズが現れました。
新しい iPad 2 は、確かに、軽く、薄くなっていました。
CPU は、より高速の A5プロセッサになり、グラフィックの性能は、9倍高速になったという。
表と裏にカメラを2個搭載し、大画面で Facetime が可能になりました。
そして、ホワイトモデルが登場。
と、しかし、それだけか?
何か物足りなさを感じながら、ネットの記事を読む。
初代より 33% 薄くなったという。13.4mm → 8.8mm
iPhone 4 より薄い? これはスゴイ。スゴすぎる。
重さは、689g → 590g これはもうチョイでしたね。
iPad 2 は、あくまでマイナーアップデートであり、大幅なアップデートは、次回の iPad 3 だろうという話もあります。
誰かが、言っていました。アップル製品は、芸術作品であり、他社のは、工業製品にすぎないと。
ジョブズの第一声は、something great to announce today. だったそうです。

救いがたい者は救われない

カンニングで逮捕するなんて行き過ぎだ。という意見があります。
わたしもそう思います。
でも、今回の捜査は、偽計業務妨害容疑です。
そんな容疑には当たらないという意見もあるでしょう。
もし、単独犯なら、よくそんなことが可能だったものだと思いますが、質問サイトに投稿するなどというバカさかげんは横に置いて、ただのカンニングにすぎないので、それなりの処分を行えばいいでしょう。
しかし、「発覚した26日以降、京大の教職員らを事実確認などにあたらせ、業務を妨害した」という被害届を、大学側が取り下げるとは思えないので、この容疑で逮捕されるのは、仕方ありません。
バレてから、いやこれはただのイタズラだったと言い訳しても、ことの重大さから、犯罪となってしまう場合も、世の中にはあるわけであって、ただのカンニングといっても、許されない場合があるでしょう。
彼は、世の中を甘く見たのか?
行為の結果を予測できなかったのか?
要するに、救いがたいアホだったのか?
早大には合格していたという報道もありましたが、救いがたい者は、救われません。

3.02.2011

アホを擁護するな

大学入試で携帯電話を使いヤフー知恵袋に投稿し、偽計業務妨害容疑になった事件について。
次のような意見もありました。

「京大等で入試問題の回答を知恵袋で問うた人がいた件、この「ネットワーク&ITの時代において問題を解く力」がある学生を入学させたいなら、こういう人まさに合格させるべきな気がする。」(ちきりん)

まず、ネットリテラシーから言えば、カンニングであれ、愉快犯であれ、あっさり捕まるようなら、ただのアホでしょう。
もし、本当にカンニングだったとすれば、ヤフー知恵袋なんかを使う点で、かなりアタマも悪いようです。
第一これが「問題を解く力」でしょうか?
この受験生が解いた「問題」は、目の前の試験問題ではありません。
彼(彼女)は、カンニングの方法を「解いた」のです。
ネットの使い方(それもアホな)を考え、実行する「力」を、世間に示しましたが、そのあげく、いつバレるかと怯えているわけでしょう。
大学に合格できても、試験ではやっぱりカンニングし、講義で質問されれば、すかさず検索し、レポートはウィキペディアからコピペするのでしょうか。

上記のちきりん氏みたいな意見は、ネットのなかの売名行為として、いろいろなバリエーションがあります。
たとえば、次のような。

「大新聞は批判しかしませんが、「ヤフー知恵袋」が体現しているのは実はネットの優位性なのではないでしょうか。」(木走日記)

長々と説明したあとの結論がこれです。
「実は」も何も、そんなことは指摘されるまでもありません。
ネットの双方向性や、アホも発言できるという優位性?は、確かにあります。
でも、それが、入試での不正行為と何の関係があるのでしょうか?

「今回の事件は日本人への抑圧機能としての「大学」という存在を批判し、風穴をあける一撃とも言えるのではないだろうか。」(眼光紙背)

問題が違います。
「大学」のあり方と、入試での不正行為は、関係がありません。
でも、あげ足取りで言えば、「風穴をあける」ことが、ルール無視や犯罪を伴うものなら、その「風穴」は、すぐにふさがれ、より強固にガードされるだけでしょう。
後先を考えられないアホが、ひとり出現するたびに、規制が増え、大勢の人たちが迷惑します。
新聞の社説がどれも同じだからといって、異なる視点でモノを言いたいがために、アホの行為を擁護するような解釈を垂れ流してはいけません。
(あ、でも、自戒しなくちゃ)