いつまでも生きがいとか言ってんじゃねぇよ (^^)/

9.29.2011

肥満の奇跡

どうしたら、そんな体型が、維持できるのか?
むろん、これは、スリムな体型の話ではない。
太りに太って、腹がせり出し、スボンのベルトの上に乗るようなデブの話だ。
どうして、そんなことになるまで手をこまねいていたのだ?
というよりも、驚くべきは、そんな体型を維持するために、日々食い、飲み、かつ、動かずにいられる精神力だ。
まるで修行のように、食い続け、飲み続け、かつ、動かずにい続ける、ストイックなまでの生活態度に感嘆するほかない。
肥満は、ひとつの奇跡だ。
そして、この世には、奇跡が多すぎる。

Android はタダじゃない?

マイクロソフトがサムスンと特許許諾契約を結び、グーグルが開発した Android に関連するマイクロソフトの自社技術の使用を認めるという発表がありました。
すでに、HTCやエイサーとも同じ契約を結んでいるという。
よくわからないのは、Android は、グーグルの無料OSでしょ?
それなのに、なんでマイクロソフトに特許料を払うんだ?
もちろん、法的に根拠があるから、そうなったんでしょうが、それなら、なんでマイクロソフトは、直接グーグルを訴えないんだろう?
マイクロソフトは、ハードメーカーのOEMパートナーを狙っているというが、そんなのは、以前からじゃないか。
売れない Windows Phone OS を改良し、Android に対抗できるようになるまで待って、特許を持ち出したのだという。
巨大なマイクロソフトが、いかにセコい戦略で、ビジネスをしているかをうかがい知ることができます。
一方、グーグルのモトローラ買収を受けて、むしろ、ハードメーカー側のグーグルに対する牽制だという説も、あるかな?

9.27.2011

映画は映画(よい意味で)

映画「ノルウェーの森」をDVDで見ました。
原作と映画作品のイメージの違いをウンヌンしても、仕方ありません。
小説は小説、映画は映画なのです。(もちろん、よい意味で)
ただ、多くの欠点を差し引いても、これは、よくできた作品だと思います。
トラン・アン・ユンというヴェトナム人監督による仕事としても、また、作品そのものとしても。

松山ケンイチを起用したのは、どうかと思いましたが、実際に見てみると、何の違和感もなく、ピッタリとハマっていることに驚きました。
直子役の菊地凜子には、少しムリがありましたが、それでも演じてしまうのは、さすがです。
というより、見る側には、選べませんから、原作の直子を忘れるよりほかありません。
緑役の水原希子は、可愛らしくて、過激で、ワガママで、謎めいた雰囲気をよく現していました。
レイコ役の霧島れいかは、きれいすぎるところが難点という、損な評価になるかもしれません。
ハツミ役の初音映莉子も、きちんとハマっていました。
と、キャスティングについても、甘い評価をしてしまうのは、日本中が知っている、大ベストセラーを、外国人監督が、日本を舞台に、日本人俳優で(当然日本語で)しかも時代背景を踏まえて、作り上げたというところが、ほとんど信じられないことだからです。

これは、この原作小説がグローバルな理解を得られる作品だという証拠なのか?
いや、映像化により、細部の微妙なニュアンスを捨象せざるを得ないものの、小説にはない、もしくは描写されていても、その枠を超えた、色と音、風景、風や雨、寒そうな暖かそうな感じ、など、目に映る事物で、イメージをふくらませることに成功したからでしょう。
小説が映画化された場合、あまたの欠落を指摘したり、上映時間の枠の中で、ないものねだりをするよりも、一歩引いて、監督が、原作をどう解釈して、映画作品として完成させたのか、そこを鑑賞するのが、見る側にとって、精神衛生がよいと思います。

凡庸さの回避

奥泉光「神器 ~軍艦「橿原」殺人事件~」のおもしろさを説明するのは、とてもむずかしい。
読者によっては、そのおもしろさを、おもしろいと全然感じないかもしれないからです。
「どこがおもしろいの?」と。
感じないものを感じてもらえるように「説明」する力量に、こちらも、少なからず欠けるわけですし、まあ、はじめから、試みる気もないので、ムリに「説明」はしません。
(「じゃ書くなよー」と言われそうですね)

さて、彼の才能については、疑うべくもありません。
ハマるところにハマれば、相当の傑作を生み出すことでしょう。
惜しむらくは、せっかくハマっているのに(ハマっていると見せかけて)そこを外すことが、みずからの天分と心得ているらしきところです。
芥川賞受賞作「石の来歴」(これは、間違いなく傑作ですが)にも、その萌芽が表れています。
自身がエッセイに書いていたと記憶しますが(記憶違いなら申し訳ありません)新人のころ、応募した作品に対して、「凡庸」(というような意味の横文字でしたが)と評されたことから、自分はもともとそのようなものしか書けないのだと開き直っていました。
そのトラウマが、ミステリー仕立ての作品ばかりを手がけ、読者を煙に巻く、奇抜な展開に持ち込まずにいられないのでしょうか。

9.23.2011

泊原発から70km

なんちゅうよい天気だろう。
札幌駅を撮る。

空は、あくまでも、青い。
風は、さわやかに、吹いている。

風上には、直線距離にして、約70キロのところに、泊原子力発電所がある。
風速1メートル/秒だと、放射性物質が風に乗って到達するまでに、約19時間。

この美しい街を維持するために、電気が必要だから、原発を推進する。
というのは、問題の立て方がおかしいだろう。
原発は、安全ではない。
いったん事故を起こしたら、とりかえしのつかないことになる。
フクシマは、そうおしえてくれた。
電気が必要なら、安全な方法で得るほかない。

暫定とはいえ

なんと首位である。

1 札幌 49(勝点)
2 F東京 48
3 徳島 45
4 鳥栖 44
5 千葉 44

暫定とはいえ、このような日が来るとは、夢にも思わなんだ。

9.21.2011

入りたい人はどうぞ

連休に長野県の松代へ行きました。
真田家や佐久間象山の関連スポットをいろいろと。
それとは別に、象山(ぞうざん)地下壕には、驚きました。
戦争末期、本土決戦に備えて、大本営や政府機能を移すべく、舞鶴山、皆神山、象山の岩盤地帯に、碁盤の目のように地下道を掘ったものが残っています。
昭和19年11月11日から終戦の昭和20年8月15日までの9か月間に、朝鮮人6~7千人、日本人3千人を動員し、突貫工事で全工程の75%を完成したといいます。
総延長は10キロを超えるそうです。
うち500メートルほどが公開されています。

外は30度でしたが、トンネルに入ると、すぐに涼しくなり、奥に進むにつれて、半袖では寒いほどに気温は下がります。
過去の地震にも崩れなかった、硬い岩盤だということですが、ところどころ鉄骨で補強がされています。
入場は無料。
ヘルメットを貸してくれます。
希望すれば、ガイドも付いてくれるようです。
なかに入ると、結構大勢の人とすれ違うので、安心しますが、狭いところは苦手なので(実は、高いところも苦手)、気持悪いこと、このうえない。
もう二度と入りたくありません。

写真は、携帯(iPhoneではなく)で撮ったものです。
フラッシュの光量が足りないのに、なぜか、うまく写りました。
照明との露出が合ったせいでしょうか。
これは、歩くルートから直角に伸びている横道の一本で、鉄柵の隙間から撮りました。
実際に歩くところは、大きな石ころなどは片付けられていますし、電球が下がっています。(あんまり明るいとは言えませんが)

ところで、佐久間象山の場合、名前の読み方が、「しょうざん」と「ぞうざん」のふた通りありますが、傲岸不遜で有名な本人が、みずから「しょうざん」と読むようにと宣言していたらしいです。

9.12.2011

いつの間にか

ついに、昇格圏内に。
はは・・・

1 F東京 45(勝点)
2 札幌 43
3 徳島 42
4 栃木 42
5 千葉 41

9.07.2011

お上品なサッカー

昨夜、ワールドカップのアジア三次予選、ウズベキスタン戦は、1-1のドローだった。
アウェーだから、とりあえず負けなくてよかった。という試合だった。
日本の攻撃は、パスもドリブルも、リズムが単調だ。
序盤こそ、攻勢だったが、徐々に、相手も慣れてきたのか、その後は、ボールを支配される時間が長くなった。
攻めに緩急といったものがない。
一定のリズムで攻め上がるから、相手も準備ができる。
おまけに、ヘッドの競り合いも、ことごとく負けていたし、ルーズボールも、拾われていた。
お上品なサッカーだ。
きれいなパスをつなぐことに意義を見出している。
目の前が空いていても、ドリブルよりパスだ。

ウズベキスタンは、フィジカルもスピードも、日本を上回っていた。
サイドチェンジを繰り返し、ピッチを広く使って、日本を攻め立てた。
カラダの使い方にキレがあり、ボールを失わず、ドリブルに入ったら速い。
日本側が荒れたグラウンドのせいにしたがるのは、きれいに整備されたピッチでなければ、通用しないパスサッカーだからだ。
後半、清武を入れたのは、よかった。
この次は、スタメンで使ってほしい。