いつまでも生きがいとか言ってんじゃねぇよ (^^)/

1.26.2011

対処法?

iPhone 4 をいじっていて、うっかり iPod アイコンに触れてしまうことがあります。(なにせ、画面の右下にあるので)
一瞬のことで気付かずに、次の動作に移っていて(つまり、指が画面に触れて)音楽が鳴り出すことがあります。
音楽を止めるには、画面上で処理するわけですが、あわててホームボタンを押したり、電源ボタン(スリープにも使う)を押したりしても、音楽は鳴りやみません。
サウンドオフのスイッチも関係ありません。
なまじスリープにしたので、余計にあせります。
でも、そのときには、スピーカーを指でふさぐというワザがあります。
音量が落ちるので、その間にゆっくり処理をすればいいのです。
そのためには、言うまでもないことですが、スピーカーの位置を知っておかなければいけません。
マイクの穴と間違えた場合は、もちろん効果はありません。はは。

ニュースサイト逍遙

あにはからんや、iPhone 4 のホワイトモデルが出るらしい。
じきに iPhone 5 が出ようというのに。
アップルも意地になっているのか。
ところで、iPad 2 も出るらしい。
憶測記事が乱れ飛んでいます。
いちいち読んでなんかいられません。
ニュースサイトの見出しを眺めているだけです。
(というのは、ウソで、結構、読み回っています)

最近、気付いたことですが、同じ記事を、見出しの文言を変えて、繰り返し載せることがあります。
読者の記憶力を試しているわけでもないでしょう。
繰り返し伝えたいというような重要な内容でもないので、埋め草記事みたいなものかもしれません。

ニュースサイトは、人のふんどしで相撲を取っているわけなので、じっくり読むようなものではありません。
だから、まずは「軽い」ことが条件だろうと思います。
「軽い」とは、レスポンスが速い(すぐ表示される)という意味です。
実効スピードは、変わらないのかもしれませんが、ムダに大きな写真や、勝手に動く動画や、画面中に散らばった広告は、心理的に「重く」感じさせられます。

1.23.2011

うれしい文庫化

集英社文庫から堀田善衛「ゴヤ」(全3冊)が刊行されています。
これは、大昔、朝日ジャーナルに連載され、単行本は新潮社から出されました。
その後、文庫化(朝日文芸文庫)されましたが、絶版になっていたはずです。
再度文庫化されることで、こうした大きな仕事に、また陽が当たるというのは、まことに喜ばしいことです。

1.19.2011

アンタが大将

何にでも口を出したがり、攻撃的なブログを書きまくっている池田信夫に、嫌気がさして、最近は、読んでいません。
自分は、アタマがよくて、先進的な考えを持ち、センスも抜群なのに、世の中の連中はみんなバカ。つまり、自分がいかにすぐれているかを言いたいために、書いているようです。
書いている内容も信用できません。
勉強はできたけれど、あまり人から認められなかった。むろん、女性にモテるはずもなかった。そんなタイプの秀才が陥る傲慢さです。
彼を批判するブログのほうがおもしろい。

1.15.2011

やっぱり

発売が延期されていた iPhone 4 のホワイトモデルは、どうやら日の目を見ないようです。
アップルのオフィシャルサイトから、ホワイトモデルが消えました。
何度も延期されていたので、やっぱり、という感じです。
6月には、次の iPhone 5(仮)が発表されるらしいですから、いまさら、というところでしょう。
だから言うわけじゃありませんが、もともと、ホワイトモデルは、iPhone 4 に似合っていませんでしたし、いいんじゃないの。

辞められないからといって頑張るわけでもない

新・ぶら下がり社員「辞めません、でも頑張りません」というコラムを読みました。

与えられた仕事はきちんとこなす。
遅刻やサボリもない。
残業も必要ならする。
一見従順である。
でも70%の力しか出さない。
言わない限り動かない。
新しい仕事に挑戦したりしない。
いつまでも受け身である。
責任が重くなるので昇進もしたくない。
仕事の能力がないわけではない。
現状維持を望んでいる。

あえて言えば、これらのどこが問題なのか、わかりません。
辞めても転職は難しいので、リスクを冒すよりは、いまの会社にしがみついているほうがいいということですが、労働者としては、正しい選択だと思います。
会社のなかでは、それぞれに棲み分けが行われていて、みんなが上司の寝首をかくような野心家だったら、マネジメントする側も大変でしょう。
会社内のインセンティブに大して期待が持てなければ、なるべく楽な仕事で、そこそこ給料がもらえればいいと、若い人でも考えるに決まっています。
頑張って100%会社に奉仕しても、いいように使われるだけで、結果、CEOの法外な報酬に還元されるのなら、仕事以外のことを大事にしたほうがいいですものね。

これもあえて言えば、そうしたぶら下がり社員をマネジメントするために、管理職が存在するのでは?
マネジメントしづらいとしたら、若い世代が、やる気がないとか、だらしないとか、内向きだとか、そんな問題じゃなくて、当の管理職が無能だからでしょう。
それに、その会社の仕事にやりがいが感じられなければ(十分なインセンティブが与えられなければ)会社のために頑張る社員が増えるとも思えません。

1.13.2011

健全な夫婦関係

厚生労働省の研究班が、夫婦のセックスレス調査をやったそうです。
全国の16歳から49歳の男女1,540人に聞きました。
その結果、結婚している人のうち、1か月以上性交渉のない人の割合は、40.8%
平成16年の調査に較べて、10ポイント増加しているそうです。

「忙しい現代社会で、生身の人間どうしの関わりが希薄になっていることを反映したと考えられる。社会全体として、仕事と生活の調和に配慮する必要がある。」
というコメントも。

くだらねえ。
夫婦のセックスレスだろ?
結婚してからいつまでもそうしょっちゅうヤッてられっか。
理由のなかに「面倒くさい」というのがあった。
しごく健全だと思う。

仮面の下

ある交番に、若い男が「児童養護施設にお願いします」と、文房具の入ったレジ袋を置いていった話。
警官が名前を尋ねようとしたら、「いまテレビで流行っているじゃないですか」と名乗らずに立ち去ったと。

児童養護施設に届けたいなら、自分で調べて、直接訪ねていけばいいでしょう。
警官が届けるにしろ、施設から受け取りに来てもらうにしろ、善意だからといって、相手に手間と時間をかけさせちゃいけません。
それに、あげ足ついでに言えば、テレビは、世の中を視聴率という基準で切り取っているだけで、現実とは違います。
全国を席巻する「タイガーマスク」現象は、「しない善より、する偽善」いや違うか、お調子者の、匿名だし~、みんながやるならボクもやる式のお祭り状態になっています。
どうせなら、流行に乗るだけじゃなく、来年も再来年も、同じ施設に贈ってほしいものです。

タイガーマスクは、虎の穴からやってきた悪役だったのです。
でも、仮面の下の伊達直人は、心のやさしい青年でした。
きみは、「タイガーマスク」を読んだことがあるのか?

1.12.2011

美しい廃墟

廃墟写真というジャンルがあります。
ジャンルといえるかどうかわかりませんが、結構、マニアがいるらしく、サイトも多いです。
廃墟も、いろいろですが、工場、ホテル、病院、学校、遊園地、鉱山、軍事施設、研究施設など。
建造物が時を経て、風雨に晒され、壊れ、色も形も変わり、周囲の草木にのみ込まれつつ、ふしぎなオブジェと化した姿を、じっと眺めていると、ざわざわと寒けがしてきます。
どれも、陰惨な美しさとでもいうか、陽の下に晒された白骨死体を連想するような景色です。
以前、同じ廃墟を同じアングルで撮影した写真家が「表現の模倣」として、著作権侵害で訴えられた裁判がありました。
ところで、そんな裁判はともかく、どうやってこんな写真を撮ったかという(廃墟のなかに侵入した)問題が残りますが、所有者(管理者)の許可を得て、なかに入ったのだろうと推測しましょう。

安くて喜ぶのは誰か?

クーポンビジネスのおせち騒動は、延々と続き、食傷気味かもしれません。
いまさらですが、一応、考えてみました。
たとえば、1万円の料理をクーポンで5千円で食べられるとします。
売上げは、5千円ですが、共同購入サイトが手数料として半分取りますので、店側の売上げは、2千5百円です。
ここから、食材費、人件費などを差し引いた残りが、利益です。
もし、これが本当に1万円の内容の料理なら、たぶん赤字でしょう。
赤字にならないなら、1万円という価格が適正なのか、疑問が生じます。
客側としては、本当に1万円の内容の料理なら、次から、クーポンを使わずに食べに行くことはないでしょう。
もし、これが二重価格の疑いがあるなら、1万円を払う客はいないので、やっぱり行かないし、クーポンを購入するメリットもありません。
すると、店側は、さらに客を引きつけるために、もっと割引率を高くするのでしょうか。
それとも、いっそ、クーポン販売をやめ、内容に見合った価格の料理を提供するという本来の商売に戻るのでしょうか。
この場合の適正な価格が、5千円だったとしたら(つまり、もともと5千円で提供する料理だったとしたら)客側は、5千円を払って食べ、店側は、5千円の売上げとなります。
共同購入サイトなどの介入する必要はありません。
一時的な集客やPRのために、クーポンを発行しても、あくまで一時的にすぎず、かえって二重価格の疑いで正規料金の客を遠ざけてしまうという結果になるのではないかと思います。

1.11.2011

地図帳が欲しい

旅行は億劫ですが、旅行番組は好きです。
料理はしませんが、料理番組が好きなのと同じです。
何も考えないわけではありませんが、静かにボーッとして見ていられるのがいい。
騒々しいお喋りや笑い声や拍手や、話の合間にいちいち「へぇー」という合唱を聞かされるのは、うんざりです。
ところで、外国の小説を読んでいると、都市の位置関係がよくわからず、困ることがあります。
グーグルやヤフーのマップでも、確認できますが、拡大させたり、移動させたりと、操作がわずらわしい。
そんなわけで、普通の地図帳が欲しい。
パッと見て、確認できるのが一番いい。
ま、それでも、いつかは、旅に出たり、おかずを作ったりするかもしれません。

ちょっと書いてみた

去年の暮れ、消費者庁は、「こんにゃくゼリー等の物性・形状等改善に関する研究会報告書」なるものを公表しました。
どんなバカげた指示であれ、それに真面目に取り組めば、こうしたものが出来上がるという見本のような文書です。
税金からなる時間と労力を費やした結果、こんにゃくゼリーの大きさを1センチ以下にすれば、窒息事故のリスクが低減されると、結論づけています。

こんにゃくゼリーによる死亡事故は、これまでに22件発生しています。(国民生活センター)
死亡者の年齢を見ると、41歳(女性)のひとりを除いて、7歳以下か、68歳以上でした。
ひとりの例外はありますが、8歳~67歳では、誰も、のどつまりで死んでいません。

食品による窒息事故の死亡者数は、人口動態統計(2008年)によると、年間4,727人ですが、原因食品の把握はされていないそうです。
ちなみに、全国の救急救命センターの調査(2006年)によると、一番多いのが、モチで、年間91件。パンが43件、米飯(おにぎりを含む)が28件、肉類28件、果実類27件、魚介類25件などですが、その他、多種多様な食品が原因となっています。合計378件。
(これは、あくまで、救急救命センターでの集計なので、全体の死亡者数のごく一部にすぎません)
窒息事故だけを考えれば、一番危険な食品は、モチです。
こんにゃくゼリーを規制するなら、まず、モチをやらなければなりません。

亡くなられた方や家族には気の毒なことです。
しかし、幼児が、こんにゃくゼリーを食べて窒息死したのは、食品メーカーの責任などではなく、食べさせた保護者の責任でしょう。
幼児よりは分別のある(認知症ではない)高齢者に至っては、ただの自己責任ですね。

1.09.2011

そうは言っても、安物買い

ポータブルハードディスクを買いました。
このてのものは、USBメモリもそうですが、容量と価格のバランスを判断するのが難しい。
たいてい、売れ筋の容量が、その時点で、一番コストパフォーマンスが高い。
価格も、まあ、それなりです。
それより上の容量を買っておけば、後悔しないだろうことは知りつつも、それより下の容量の安さに惹かれて、結局、「安物買いの銭失い」になってしまいます。
パソコン本体よりも、こうした周辺機器のほうが、メーカーの技術度が表れる場合が多いので、短期間で壊れたりしないように、made in Japan を選んだほうがいいかもしれません。

1.06.2011

うそつきはドロボーの始まり

「うそをつかない検事を育てなければいけないと痛感した。」(東京高検の小貫検事長)

おいおい。
あなたは、小学校の校長先生かよ?

検事長は、昨日の就任会見で「今年は検察改革の重要な年」と抱負を述べたそうです。
あまりに、プリミティブ(素朴)で、情けない。
例の某検事も、うそをつかなければ、検察組織の中でやっていけないから、うそつきになったのでしょう。

1.05.2011

安心スタンプ

ものまねサムスンから Galaxy S のオーディオプレーヤー版 Galaxy Player というのが出るそうです。
本体正面の上部、一番目立つところに SAMSUNG のロゴが見えます。
iPod や iPhone は、正面に Apple のロゴを打ったりしません。
それじたいが Apple の製品だと、ブランドに自負があるからです。
サムスン製品は、すっかり世界市場を席巻し、「検屍官」シリーズにも、サムスン製液晶テレビが登場するくらいです。
かつては、日本も、後追い技術で、ものまね製品を安く大量に作って、シェアを獲得してきました。
しだいに、日本製品の質の高さが、認知されるようになると、そのなかにあって、SONY ロゴは、高い技術と独創的な製品の象徴となりました。
いまの SAMSUNG ロゴは、安くてそこそこ使える汎用品のスタンプにすぎません。
そんなの関係ないという人や、一応売れているから安心だという人や、とりあえず安けりゃいいという人は、スタンプ付きを買ってください。

1.04.2011

物語の中の「説明」

「検屍官」シリーズは、最初、一人称(ケイ・スカーペッタ)の語りでした。
マリーノやベントンの描き方が平板だというレビューもありましたが、ケイの視点からのみ描かれるのだから、ある程度は仕方ありません。
巻が重なるにつれて、物語も複雑化し、一人称で進行させることが難しくなってきたのでしょう。
で、その後、三人称に変わって、登場人物それぞれの内面が描かれるようになると、物語が重層的に進行し、おもしろく感じられる面もありましたが、情報量が増え、それがかえって物語のスムーズな流れを阻害していました。
ケイには知り得ないような武器やコンピュータシステムや心理分析の説明が、登場人物の内面と併せて、あるいは、地の文で展開されることになり、それがあまりに多いと、ありがた迷惑は否めません。
シリーズものの難しさで、前作よりパワーアップすることが求められると、そうした「説明」に頼りがちになるのかもしれません。

1.02.2011

評価するとか、しないとか

コーンウェル「検屍官」シリーズの新作「核心」を読みました。
終盤、人物の関係が複雑になって、ワケがわからなくなります。
そのあたりまで来ると、読む方も疲れていて(わたしが疲れているだけですが)いちいち確認する気力も失せています。
お馴染みの登場人物たちも、あいかわらずのドロドロ状態ですが、成長したり、しなかったりで、シリーズもすっかり煮詰まっています。
このうえ、シンプルな面白さを求めるのは、酷にすぎるでしょう。
読者も愛情を持って読み継いでいるわけで、評価するとか、しないとか、そんなスタンスではありません。