原子力安全・保安院は、原発事故後、3月18日の時点で、1~3号機について「炉心溶融」していると判断していたという。
公式に認めたのは、約2か月後でした。
公表しなかった言い訳は、どうでも勝手にするがいいでしょう。
公表するかしないか、公表するなら、いつ、どの程度公表するかなどの判断基準は、国民の生命や財産を守ることにあるのではありません。
彼らの保身と組織防衛と将来の天下り先確保のためにあります。
なぜなら、彼らの安寧が、すなわち、国の安寧であるとされているからです。
アメリカの公開資料によると、1~3号機の炉心溶融もさることながら、4号機が、一番危機的だったという。
使用済燃料プールは、格納容器の外にありました。
建屋が崩落し、プールの水が抜けてしまうと、核燃料が、大気中にむき出しになります。
一帯が、高濃度の放射性物質で汚染され、近付くことができなくなれば、他の1~3号機からも撤退しなければなりません。
そうすればどうなるか。
最悪のシナリオでは、首都圏避難もあり得たという。
米軍は、50マイル(80キロ)圏まで後退し、在日アメリカ人にも、避難勧告が出されました。
SPEEDI のデータは、官邸の政府首脳にも、福島県民にも、知らされませんでしたが、おどろくべきことに、米軍には、提供されていたのです。
福島県民は、この時点で、国から見捨てられたのです。
放射性被曝の場合、健康被害を受けたと、あきらかになるのは、何年も、何十年も、先のことでしょう。
「そのとき」には、因果関係も不明確ですし、裁判を起こしても、生きているうちに、判決を聞くことはできないかもしれません。
彼ら原発推進官庁の役人たちは、そのことをよくわかっています。
彼らは、追及されることもなければ、良心の呵責を感じることもありません。
なぜなら、「そのとき」には、すでに、あまりに歳月がたち過ぎているからです。
国の発表は、信じられない。
ということを、あらためて肝に銘じましょう。
「安全だ」と言われれば「かなり危険かもしれない」と受け止めるべきですし、「ただちに健康に影響はない」と言われれば「とにかく逃げた方がいい」と考えるべきです。
長い年月を「そのとき」に怯えて暮らすのは、自分なのですから。
この国に「国民主権」はなく、「官僚主権」があるだけです。