いつまでも生きがいとか言ってんじゃねぇよ (^^)/

2.28.2011

バチモンとの違いを

ずっと、ウワサになっていた iPad 2 が、3月2日(日本時間では3日午前3時になる)に発表されるらしい。
さらに、薄く、軽くなるらしい。
カメラが搭載されるらしい。
SDスロットが付くという話も。
iPad 以降、各社から、雨後のタケノコのように出現したタブレットPC(スレートPC)は、どれもバチモン感を否めないところですが、iPad 2 が、それらを一掃してくれるでしょう。

2.19.2011

イメージぴったり

「ソーシャル・ネットワーク」を見ました。
とてもおもしろかったです。
最初、過去と現在が交錯するので、ちょっととまどいました。
ザッカーバーグは、イメージにぴったり。
フェイスブックの共同創立者で、後に彼を訴えることになる、エドゥアルド・サベリン役(アンドリュー・ガーフィールド)は、どこかで見たことがあると思ったら、「大いなる陰謀」で、教授(ロバート・レッドフォード)とやり合う、出来はいいのにやる気のない学生役でした。
ボート部の一卵性双生児のエリート学生は、なんと、二役(アーミー・ハマー)でした。
監督のデヴィッド・フィンチャーは、アクが強い(「エイリアン3」の監督)ですが、キレのいい演出で、楽しませてくれます。
DVDが出たら、じっくり見たいと思います。

2.11.2011

金額は大きいが

「ウォール・ストリート」を見ました。
マイケル・ダグラス扮するゴードン・ゲッコーが、刑期を終えて出所するシーンから、物語は始まります。
収監時の持ち物が返還され(置物のような携帯電話器とか)、塀の外へ出ると、彼には迎える人もいません。
老いぼれ、ヨレヨレになったゲッコー。
それでも、本を出し、講演会で糊口をしのぐ
おお、おもしろくなりそうだ・・・みたいな期待を大きく裏切って、物語は展開し、ヘンなハッピーエンドで終わります。
「風説の流布」やネットでの告発記事だけじゃなく、マーケットの中で、どう戦って勝つのか、その辺を描かなければ、マネー・ゲームを舞台にする意味がないでしょう。
限られた時間で、エンターテインメントに仕上げるのは難しいのかもしれません。
金融危機も、エコ事業への投資も、単純化されすぎているし、出てくる金額が大きいので、大変なんだとか、スゴイんだとか、「お約束」で思うだけです。

2.08.2011

彼は焼酎が好きらしい

「減税」を掲げりゃ当選するでしょう。
財源は行政改革で捻出するといいます。
名古屋市の市債残高は、一般会計で1兆8千億円、特別会計を合わせると3兆円を超します。
当然国からの地方交付税を受けています。
血の出るような行政改革を行っても、「減税」なんかに回す余裕はないはずです。
「ポピュリズム」とは「大衆迎合主義」などと訳されますが、まさに「ポピュリズム」の選挙でした。
汗臭い野球帽を被った、酔っ払いみたいなオッサンに、どんな理念と指導力があるのか、わかりませんが、名古屋市民の支持を受けたことだけは、確かです。
ところで、同じく当選した県知事さんのほうも、なんか暑苦しい感じですね。

「民主政治は常にポピュリズムに堕する危険性を持つ。そのような場合、問題を単純化し、思考や議論を回避することがどのような害悪をもたらすか、国民に語りかけ、考えさせるのがリーダーの役割である。」(山口二郎:北海道大学教授)

2.03.2011

ブログの更新

ブログというのは、毎日、更新するくらいでないと、読んではもらえません。
更新のスパンは、短ければ短いほどいい。
アクセスのたびに、以前と同じままだと、すぐに見限られてしまいます。
わたしには、そんなふうに頻繁に書き込む気力もないので(時間はあるのですが)ムリです。

実は、いい方法があります。
ニュースにコメントするのです。
どんなニュースでも、突っ込みどころはあるので、それを書く。
特に、事件関係、そして、スポーツ、芸能関係は、そのためにあるようなものなので、ネタに困りません。
しかし、これはこれで、続けていると、「オレはバカじゃないのか」と自己嫌悪に陥るという弊害が伴います。

いまさらどうにも

「八百長」の語源は、八百屋の長兵衛が、相撲の年寄と碁をうつときに手加減をしたところからきています。
相撲と八百長は、切っても切れない関係にあります。
いまさら、それをどうしようというのでしょう?
もちろん、取組のなかには、真剣勝負(ガチンコ)もあるでしょうが、多くは、星のやりとりで成立していると推測できます。
八百長は、相撲という世界を形成する強固なシステムであるといえます。
もし、徹底的に追及されたなら、相撲という世界は、崩壊します。
だから、八百長でもよいと言っているわけではありません。
ガチンコ勝負のほうがおもしろいに決まっていますが(打合せ通りの芸術的な取組を観る妙も、捨てがたいところですが)八百長も含んだうえで、相撲という興行が存在するのだと思います。

ところで、暴力団が関わっているかもしれない賭博の問題は、また別です。
ただ、ふしぎに思うのは、八百長で勝ち負けが決まるのに、賭として成立するのでしょうか?
事前の情報を知る者が勝ちますし、星の取引を予測できる者が有利です。

飛ぶ前に

東京ドームシティアトラクションズの転落事故について。
報道によれば、死亡した男性(34歳)は、体重130キロもの巨体で、安全バーが固定されていなかったことが原因とみられます。
運営会社である東京ドームは、「固定状況は必ず手で触って確認するよう指導していた」と説明していますが、アルバイトの女性係員は、目視だけで確認していたようです。
そもそも安全バーが固定されないような大柄な人は、利用できないはずですが、運用マニュアルには記載されていなかったということです。
目視と手で触って確認する手順も、守られていなかったし、そうした指導も徹底されていたかどうかわかりません。
アルバイトの女性係員は、「大人だったので大丈夫と安易に考え、手で確認しなかった」と言っているそうです。

あるブログのなかで、死亡した男性の自己責任を指摘する意見がありました。
安全管理の責任が、運営会社側にあることは明白ですが、死んでしまってから、そんなことを追及してもらっても、どうしようもありません。
いくら安穏とした社会であっても、安全を人まかせにして、行動していたら、思わぬ災難に遭うかもしれないということです。
「大人」ならなおさら、自分で気をつけるべきでしょう。
たとえば、バンジージャンプに挑戦するとして、もし、命綱の結び目が緩んでいたら、ちょっと待ってくれと言うでしょう。
わたしなら、しっかり間違いなく結ばれていたとしても(絶対安全の保証書が貼られていても)、飛びませんが。