いつまでも生きがいとか言ってんじゃねぇよ (^^)/

12.29.2010

コーヒー飲んで平和な気持

最近、コンビニで気付いたこと。
レギュラーコーヒーの品揃えが、1杯ずつのパックタイプのほうが多い。
あるいは、それしか置いていない。
このドリップパックは、だいぶ前から、商品としてはあったけれど、あんまりおいしくありませんでした。
それが、わりと飲めるレベルにまで達してきたことと、やっぱり、面倒臭くなくていいのです。
カップに乗せる部分の造作が、各社いろいろですが、厚紙でやぐらを組むタイプより、ティーパックを吊るように両脇に紙のフックを引っかけるタイプのほうが、使いやすいです。
フックの欠点としては、落としたコーヒーに、パックじたいを浸すことになるのが、美観を損ねるところでしょうか。
やぐらのほうは、カップの縁にきちんとはめ込まないと、外れて惨状を呈する危険があるのと、かさばるので、捨てるときの始末が、ちょっと気になります。
ああ、平和ですね。

ツライ映画

「相棒」シリーズというのが、どうも苦手でした。
水谷豊のひっかかるような喋り方になじめなくて。(見ているうちに、慣れてはきますが)
テレビで「鑑識・米沢守の事件簿」を少し見ました。
個人的な好みから言えば、映画作品として、地味すぎるとかそういうことよりも、この締まりのない、テレビドラマ以下の映像が、ダメだと思います。
スピンオフ作品だから、手を抜いたわけでもないでしょうが、これに、映画館で、1時間45分も、付き合わされたらツライものがあります。

12.23.2010

意外ではない

2ちゃんねるに「2010年意外に流行らなかったものリスト」というスレッドがあるらしい。
元を確認していないが、そんなことはどうでもいい。
リストのなかには、意外でもなんでもなく、あきらかに流行するわけないよな、というものもあります。
たとえば、「メンズブラ」「スカート男子」など。
どうでもいいものが多い。「逆チョコ」「山ガール」「ホルモンヌ」「ブブゼラ」

「ブブゼラ」は、ツイッターで「Breaking balls sonata」という楽譜が紹介されています。
これが、大笑い。
全音符が延々と続いているのです。

「キムタクのヤマト」というのがありました。
これも、ツイッターだそうですが、こんなコメントも。

 ヤマトのファンはキムタクに興味がないし
 キムタクのファンはヤマトに興味がない

そらそうだ。
映画は、見ていません。
広告映像では、人間ドラマが臭そうでした。
実写だから、熱演されると、余計痛々しくて疲れます。

「朝ラーメン」というのもありました。
ラーメン屋が、過当競争のために、早朝も営業し始めただけのことです。
朝からラーメンかよ。
健康に悪そうです。
夜遅く、飲み屋の帰りに食うよりマシか。

3Dテレビ。
これも、意外ではなく、当たり前。
家電業界のほうがどうかしている。

12.21.2010

無為の生活

やはりリタイアが近付いてくると、その後の生活について、想像してしまいます。
一般的な常識からいえば、無趣味というのが、まずいけない。
次に、人間関係の希薄さがいけない。
そんなことはわかっているつもりですが、かといって、ムリに新しい趣味や人間関係を求める気になりません。
というか、趣味について言えば、始めるのに遅すぎるということはないと思うからです。
何であれ、肉体的な制約はあるでしょうが、その気になりさえすれば、年齢に合った楽しみ方はできるはずです。
結果的に、こんなに愉しいものなら、もっと早くに始めておけばよかったと後悔するかもしれませんが、それはそれです。
とりあえず、やりたいことがないんだからしょうがない。
(でも、だからどーなのさ?)

もうひとつ、人間関係について。
豊かな老後は、どれだけ多くの人に関わりを持って生きられるかにかかっている。なんて、まことしやかに言われることがありますが、それは、理想にすぎません。
というか、老境の蜃気楼みたいなものでしょう。
安心できるごく少数の人が身近にいればよく、あとは、一定の距離をおいて、互いに決して踏み込まない、限りなく他人に近い関係の人たちが、多少いればいいのです。
安心できるごく少数の人に先立たれたら?
そんな心配をしてもしょうがありません。
老人は、みなさびしい。
でも、自分は、こんなステキな趣味に打ち込むのに忙しく、大勢のステキな人たちに囲まれているから、全然さびしくない。と思いたいだけです。
人と触れ合いたいなら、いつでもどこでも、可能でしょう。
新しい人間関係も、遅すぎるということはありません。
よい人間関係は、長い年月をかけて信頼を積み重ねていくものだ。なんてのは、ウソです。
期間は関係ありませんし、年齢も関係ありません。

リタイアしたら、毎日、無為に過ごしたい。
人に会いたくないし、何も考えたくない。
なるべくボーッとして過ごしたい。
そう思います。
(要するに、ボケの始まりです)

慣用句の勉強

BLOGOS というブログを集めたサイトをよく巡回するのですが、ある方が、「出る釘は打たれる」と書いていました。
(「釘」ではなく、正しくは「杭」)
2度も書いているので、うっかりしたわけではなく、そう勘違いしているのでしょう。
間違えられる慣用句として、あまりにも有名なので、むしろ正しく使われるようになった気もしますが、いまどきめずらしいことです。
この方は、「角を矯めて牛を殺す」「寄らば大樹の陰」など、慣用句をカッコ書きで使っていて、それだけに「出る釘は打たれる」がみっとなく目立ちました。
自分も、勘違いしたまま、そうした誤りを犯しているかもしれません。
「他山の石」とさせていただきます。

で、ネットで慣用句を調べていたら、「圧倒的」の使い方が書いてあり、他をしのいで優勢になる。段違いなこと。という意味なので、否定的な事柄に対する形容には使えない。とありました。
つまり、「圧倒的勝利」ならいいが、「圧倒的敗北」では誤った使い方だそうです。
なるほど、勉強になりますね。

12.20.2010

iPad に向かない映画

「インセプション」を iPad に取り込んで見ようとしたら、これが、あまりよくありませんでした。
まず冒頭、暗い画面が続くところが、非常に見づらい。
そして、夢の中の風景や空間が、現実ならあり得ない変化をする、壮大なシーンなど、これは、やはり大画面で見て、迫力を味わうべきものです。
iPad に向いているのは、画面がハデに動かないドラマ系です。
ところで、映画1本程度なら問題ないのですが、本体より、ワイヤレスイヤフォンのバッテリーを心配しなければならないのは、困ったもんです。(直接接続すればいいわけですが)
ドラマなら、iPhone 4 の小さな画面でも、くっきりときれいなので、ちゃんと見ることができます。
字幕を読むのも支障ありません。

12.18.2010

断捨離

「クローズアップ現代」でも取り上げられた「断捨離」は、最近、ブームらしく、関連本が何冊も出ています。
本当に必要なモノ以外は、思い切って捨てる。
本当に必要なモノだけを持って、シンプルに暮らす。
んー、ムリですね。そうしたいけれど。

意地悪かもしれませんが、自分で気持よくなっているだけで(どう? わたしステキでしょ?)やりすぎると、これも、一種の神経症だと思います。
使わないモノであふれた部屋を整理して、ガランときれいになったら、その部屋の空間そのものも、いらないのでは?
それとも、そのガランとした空間そのものが、必要なのか?
「断捨離」が、「オシャレな生活」というくくりで紹介されているうちはいいけれど、妙に、人生訓みたいになってくると、モノに限らず、毎日の習慣や、人間関係や、生き方をも、エラそうに片付けてくれます。
いっそ、家も捨て、家族も友人も捨て、地域も捨て、名前も捨て、ホームレスになるか、仏門に入って、托鉢でもやって生きればいいのでは?
それは、極端ですが、モノを捨てるだけのことで、人生を語られてもどうかなあ、と思うわけです。
ブームに乗じて、「断捨離」本を売りまくっても、「ゴミ屋敷」の住人を啓発することはできません。

12.15.2010

40年前のB級映画

いったい何の拍子か(テレているわけではない)映画「バーバレラ」(1968年)のオープニングタイトルを YouTube で見ました。
ジェーン・フォンダが、無重力でフワフワしながら、宇宙服を脱いでいくシーンです。(最後は全裸になる)
作品の中身はともかく、このオープニングは、あまりにも、よくできているので、感心しました。
たとえば、ヘルメットのシールドが、ゆっくり(じらすように)下がるシーンの演出など、ちょっとにくいです。
まず金髪が見え、次に目が現れるあたりで、ヴォーカルが入ります。
手や脚が現れるところも、めいっぱいフェチっぽい。
エロ満載のB級(とすら言えない)SF映画ですが、こうしてあらためて見ると、なんだか自由で、愉しい時代だったと思わずにはいられません。
しかし、ベトナム戦争があり(ジェーン・フォンダもこの後、反戦運動に参加していく)、日本では、全共闘運動が「燎原の火のごとく」広がっていました。

持って愉しいか

携帯販売ランキング(GfK Japan調べ)によると、10月最終節に、18週連続首位だった iPhone 4(32GB)が2位に落ち、Galaxy S がトップになりました。
ところが、翌週には、4位に陥落。
品薄の影響らしいです。
売れまくっているのですね。
Galaxy S は、サムスン製の Android 端末で、キャリアは、ドコモです。
iPhene 4 の弱点は、キャリアがソフトバンクであること。そして、アップル製であることです。
アップルは、アップルであるがゆえに、選ばれない理由にもなり、逆説的に、それがブランド価値となっている面があります。
だから、こんなに売れなくてもいい。そこそこ売れて、会社の存続と、次の商品開発に投資できればいいのです。
Galaxy S は、無骨で、ちっとも美しくなく、昔で言えば、DOS/V 互換機みたいなものです。
持って愉しくないでしょう。
安売りサムスンのセンスの無さが表れています。

その後、au の IS03 が首位に出ました。
シャープ製のきめ細かい造り、日本仕様、レディーガガのCMで、従来型携帯からの乗り換えを加速させました。

12.08.2010

皆様のNHK

昨夜9時のNHKニュースでは、海老蔵の謝罪会見がトップでした。
仕事をすっぽかし、飲みに出かけて、しかも酒癖が悪いらしく、誰かとケンカした。
世間を騒がせ、歌舞伎をイメージダウンさせ、ファンに迷惑をかけた。
そういう趣旨の謝罪らしいです。
これからは、人間として立派になれるように努力するそうです。
民放のワイドショーならともかく、受信料を取るNHKが、それも9時のニュースで、トップで流すネタか?
事件を報道するなら、まだ理解できる。
しかし、なんじゃこれは。

皆様のNHKといたしましては、救いようもなくバカで下世話な皆様が、いま一番関心をお持ちの出来事をお伝えしただけです。なんか文句あるかバカヤローとにかく受信料払えよ。てなもんです。

12.06.2010

映画の楽しみ方

テレビで何気なく見てしまった(途中からだけど)「GOEMON」は、えらくおもしろかったです。
どうしてだろう? ふしぎだ。
「CASSHERN」の監督だと知らずに見たのです。
もし、知っていたら、見なかったかもしれません。
「CASSHERN」は、箸にも棒にもかからないシロモノでした。
あれから、テクニックが進化したのか、といえば、たぶん、そうでもないでしょう。
きっと、このおもしろさは、時代背景とのミスマッチ、国籍不明の違和感からくるものです。
内容が荒唐無稽であっても、時代設定や人物が、はなから空想だと、自由すぎて、「勝手にやれば」という感じになってしまいます。
「GOEMON」も、はなから史実を無視して、勝手放題にやっているのですが、美術と演出のパワーで、最後まで引っ張っていきます。
映画の楽しみ方も、いろいろです。
細かいことを気にせずに、全編に渡って繰り広げられる、モノトーンを基調とした壮大な風景、奇抜な衣装、役者のおどろおどろしいメイク、ゲーム感覚のアクションシーンなど、シュールな映像美を楽しみましょう。

いまいましい病い

いまいましいと感じる上司が大勢いそうです。
「新型うつ」の話。
プライベートでは問題ないのに、出勤する(しようとする)と、気分が落ち込み、体調不良になってしまう、新しいうつ病のことです。
従来型のうつでは、自分自身を責めるのですが、新型では、他人や環境を責める(他罰的な)のが、特徴だそうです。
20~30代に多く、逃避型・回避型のうつと呼ばれます。
日常生活や好きな趣味の活動などには、支障ないのに、仕事となると、不調を訴え、ためらいなくみずから受診し、あっさり休職してしまったりします。
原因は、会社や上司だと考え、会社を休むことに、責任を感じたりはしません。
自分で休職制度や傷害手当金のことを調べて、積極的に行動します。(そら元気だろうが)

これって、うつ病か?
うつ病っていうより、パーソナリティの障害じゃないのか?
出勤する朝は起きられないけど、遊びに行く朝は起きられる。
これって、普通のことじゃないのか。

そうだ、解決方法があるぞ。
仕事を趣味にするんだ。
楽しいぞお。

才能と能力

同じ意味ですが、若干ニュアンスが異なります。
才能には、先天的な素質という意味合いが含まれ、それを後天的な環境や努力で開花させたものが、才能と言えます。
能力は、そうして得られた力そのものの意味です。
才能には、発想する力というイメージがあり、能力は、それを継続して実現する、実際的な力というイメージです。
たとえば、芸術家に対して「彼(彼女)には才能がある」と言いますが、「能力がある」とは、あまり言いません。
実務的な仕事に対して「能力がある」という言い方はしますが、「才能がある」とは、言いません。
いや、言わないこともありませんが、表現がそぐわない感じです。

で、自分には、才能も能力も欠けている。と、感じるときがあります。
それをいつ、どの程度感じるかは、人それぞれですが、もし、決定的に感じてしまったときに、人は、それからの人生をどう過ごすのでしょうか?
はっきり言えば、生きている意味があるのでしょうか?
人は、ただ生活するために生きているのではありません。
自分には、才能も能力も欠けているが、生きている意味があると、思えるかどうかということです。
もし、思えないにしても、生きることで、生きる意味を、自分自身に納得させられるでしょうか?

12.01.2010

悪口トークの営業

また、マンションの話。
「マンションコミュニティ」という、どうしようもない、愚劣な掲示板サイトがあります。
デベロッパー社員からの書き込みと思われるものも多く、そのほとんどは、他社物件の誹謗中傷か、自社物件の露骨なPRです。
これに限ったことではありませんが、同じ立地でも、たとえば、スーパーやコンビニが近くにあると、日常の買物に便利という「売り」になる反面、駐車場の出入りがうるさいとか、若者がたむろして物騒だとか、ネガティブな要素もあります。
ネットの匿名性をいいことに、ユーザーを装いながら、この両面を使い分けて、同じような立地の物件でも、他社をおとしめて、自社を持ち上げるということをやります。
販促の一環で投稿を繰り返しているのではないかと思われるようなケースもあります。
実際の営業現場でも、他社の悪口を言うようなデベロッパーは、自社物件に自信がないか、過酷なノルマが課せられているか、いずれにしても、高額商品を扱う営業姿勢として、下品ですし、不安なものを感じます。