いつまでも生きがいとか言ってんじゃねぇよ (^^)/

4.28.2011

触ってみたい

iPad 2 が発売になりました。
おまけに、iPhone 4 のホワイトモデルも発売です。
iPhone 5 が出るかもしれないというのに。
ホワイトモデルは、あきらめたのかと思いきや、アップルも、こだわりが強いですね。
とりあえず、iPad 2 には触ってみたい。
この「触ってみたい」と思わせるのが、アップル製品らしいところです。

この国はダメだ

被曝線量年50ミリシーベルトの上限撤廃(厚生労働省)
「全国各地から作業員が応援派遣されているため、現行の上限規定のままでは、他の原発の点検業務に当たる作業員が確保できなくなるという懸念が産業界などから出ていた。」

現代の特攻隊だな。「国のために死んでこい」
産業界というのは、具体的に、どこの誰のことか知らないが、間違いなく、人間の顔をした鬼だな。
厚生行政も、労働行政も、地に落ちたな。
単純な作業(たとえば、なかに入っていって、ボルトを締める。とか)なら、厚労省から応援部隊を出してみせろよ。
100ミリシーベルトの被曝なんか喫煙に較べれば全然問題ないと言った学者たちを動員しろ。
それを吹聴した評論家やジャーナリストやコラムニストやブロガーたちを動員しろ。

死刑囚を使え。という提案がある。
減刑する方法もある。(死刑→無期)
もちろん、非人道的で、まともな考えではない。
しかし、それが、非人道的なら、下請け、孫請け、ひ孫請けの作業員たちを被曝させ、使い捨てにすることの、どこが人道的なのだろう?
昔、原発の現場では、被曝線量がオーバーすると、線量計をリセットしたという話もある。
失業が怖いからだ。
この国は、本当にダメだな。

4.26.2011

原発事故以外のことも

ここんとこずっと、原発事故に、気持を入れ込んでいました。
その間、本を読んだり、映画を見たりもしましたが、原発事故が、常に、アタマの上にのしかかっているようで、重苦しい、不快な気分でした。

今野浩の金融工学の本(といっても、もちろん一般向けのもの)は、どれもおもしろかったです。
自伝的なものから、小説っぽいもの、教養書みたいなものまで、いろいろあるけれど、同じエピソードを、繰り返し書いているので、ずっと読んでいくと、登場人物にも馴染みができて、著者と親しくなったような気にさせられます。
こういうのも、アリなのね。

赤信号みんなで渡れば怖くない

汚染水の処理(他へ移送する)ができないので、水位は、上がる一方です。
上から注いでいるのだから、当たり前です。
逆に、減ったら、どこかへ漏れているわけですから、それはそれで、困ったことになります。
結局は、海へ放出するしかありません。
手の打ちようがないので、ただ見守りつつ、最終的にあふれて流出するのです。
国際的な非難は、さらに高まりますが、原発推進は、国際社会で容認されてきたのだから、生じた被害についても、世界中で受け止めてもらうしかありません。

4.25.2011

推進派の巻き返し

悲観的で投げやりなことばかり書いてきましたが、その通りなのだから、しょうがありません。
今後、原発推進にブレーキがかかることは、間違いありませんが、福島原発の事故対応が、降着状態で(実際は、非常事態のままですが)、ニュースバリューが低下したのをいいことに、徐々に巻き返しが始まっています。
ネット上でも、引続き原発を推進したい人たちのブログが、攻勢を強めています。
特に、経済評論家とされるような人たちの意見は、非常に悪質です。
経済合理性をタテにした、自然エネルギー政策への批判は、今回の被害補償や、将来の廃炉費用や放射性廃棄物の処理費用などを切り離した、詐欺的な議論です。
さらに、専門家でもないのに、国際的な被曝線量の基準値を非合理と決めつけ、事故後の引き上げをまったく問題ないかのように言うのは、デマゴーグのやり口です。

4.23.2011

被爆なんか怖くない?

というブログも結構あります。
250 ミリシーベルトの被曝で死ぬ確率よりも、タバコで死ぬ確率のほうが、断然高いと。
喫煙者が将来ガンになっても、原因が、原発からの被曝なのか、タバコなのか、わかりませんが、確率的には、後者であると。
だから、喫煙者は、避難しなくても大丈夫。
20 キロ圏内でも、安心して生活してください。
ガンになっても、それは、タバコのせいですから。

ただ、広島と長崎の惨禍を「放射線の健康への影響を調べるための理想的なサンプル」などと称する、冷静な統計学的分析も、おそらくは、自分自身や自分の家族には適用されないことでしょう。

我ら棄民となる

先日、2号機から海へ排出された汚染水が 4,700テラベクレルと発表されました。
たぶん、ぎりぎり最低の数字を算出したものだろう。くらいのことは、どんな素人にだって、想像がつきます。
それも、見えるところの部分だけで、なのだ。
こんなことで、みんなで示し合わせて「安心ごっこ」を続けるつもりか。
などと憤ってみても仕方ありません。
表向きは、そうするしかないのでしょう。
みんなが気付いてしまえば、収拾がつかなくなります。
「安全」に暮らすための資源は、有限だからです。

4.20.2011

それまで生きていれば

ロボットの話。
原発建屋内に入った、遠隔操作のロボットは、アメリカのアイロボット社製「パックボット」というそうです。
アイロボット社は、ルンバというお掃除ロボットを作っている会社です。
おお、あの利口なルンバか。
と期待されましたが、「パックボット」は、カメラが曇ったり、がれきに阻まれたりして、あんまり役に立たなかったようです。
天の配剤により、クリエイティブなプランと技術革新に恵まれれば、何年か後には、格納容器のなかの様子がわかるかもしれません。
気長に待つよりほかありません。(それまで、生きていればの話ですが)
ところで、日本のロボット技術は、世界一。なんて、聞いたことがあったけれど、空耳だったのね。

未来への選択

「どんな工学的技術にもリスクはある。あれは設計の問題だ」などと言う人がいます。
過去に、そんな設計の問題が指摘されていても、コストとの折り合いで、修正する機会が排除されていれば、リスク以前の問題です。

なるほど、飛行機だって墜落することがある。
電車だって脱線することがある。
どんなプラントだって、事故を起こすことはありますが、要は、そのリスクが、個人的には受け入れられなくても、社会的なコストとのバランスで、許容しうる範囲かどうかということでしょう。
「フクシマ」は、それを超えてしまいました。

高村薫が道新夕刊にコラムを書いていました。

「問題は、安全か安全でないかではない。そんなことは神しか知らないのであり、要は私たちが受け入れるか否か、だけなのだ」(4月20日「未来への選択 決断の時」)

これまでにわかったこと

原発事故を収束させるのは、極めて困難であること。

公表される放射線量は、一定の条件下の数値であり、実際に被曝を避ける目安にはならないこと。

この先も、大勢の人たちが、長期にわたって被曝することになるが、居住する地域や生活の仕方によって、その度合いが異なること。

日々の行動について、さまざまな注意喚起が、政府などからアナウンスされるが、それらを守らなくても、ただちに健康に害を及ぼす心配はないこと。

将来、いつの時点でか、ガンや白血病にかかるかもしれないが、運命だと思って、あきらめるしかないこと。

4.18.2011

「できません」と言ってるのと同じ

収束へ向けた「工程表」が発表された。
おそまつである。
小学生の夏休みの学習計画より、信頼性が低い。
首相は、参院予算委で、「できるだけ早く実現できるよう全力を挙げて東電の作業に協力する」と言ったとか。
未曾有の国難である。
この期に及んで、東電に責任を押しつけている場合か。

言い訳になっていない

「私は原発推進派でも反対派でもなく、現状維持派ともいうべき立場である」(池田信夫)

何にでも口をはさみ、専門家でもないのに専門家ぶった言説で、それらしいロジックと、あやしげなレトリックで、売名にいそしんでばかりいると、上記のようなワケのわからないことを言う始末になります。
「現状維持派」=「推進派」でしょ?
どこが違うの?

こちらは、与謝野大臣。
「原子力発電は大事だ。(原発を)推進してきたことは、決して間違いではない」
「言い訳がましいことは言いたくないが、最良の知見、最善の知識、最良の技術でベストなものをその当時は作ったと確信をしていた」

当時、ベストと確信していても、40年たてば、このザマです。
さらに、40年後、どうせあなたは生きちゃいないでしょうから、関係ありませんよね。
あなたの孫やひ孫が、そのツケを払うんでしょうか?

4.15.2011

開き直った「心構え」

「やめれられない、とまらない」は、えびせんのキャッチコピーだ。
福島原発も「やめられない、とまらない」というわけで、こんな惨状になっても、原発推進は、やめられないし、事故は、とめられない。
「想定外」の津波と人為ミスが重なったとしても、こんなふうに暴走したら最後、手のつけようがない。
「安全」コメンテーターに東大教授というのが多いな。
東電や政府や保安院やテレビの解説を信じている日本人が、どれだけいるんだろう?
押し入れにアタマを突っ込んで耳をふさいでいれば、20年後、白血病になるかもしれないなんて、暗鬱な不安にさいなまれずに済むというのか?

コウナゴだって、シイタケだって、ニンゲンだって、ヒバクしてるんだ、トモダチなんだ~(「手のひらを太陽に」の節で)

子どもたちは、不憫だが、しかたあるまい。
きみたちは、早死にするかもしれないが、生き残った者たちには、膨大な借金がのしかかるだろう。
せいぜい勉強して、海外で生きていけるスキルを身に付けることだ。
そうでない者は、くよくよ心配しても仕方ないから、明るく(バカになって)生きるよりほかない。

開き直った「結論」

もう全部海へ流すしかないな。
ヤケクソである。
がれきといっしょに、格納容器ごと海へ沈める。
といっても、ムリだから、とにかく冷やし続けるために、上からどんどん水をかけて(そうするしかないし)、下から海へどんどん排出する。
海は広いな、大きいな。
いくらでも捨てられる。
どこかのアホが言っていた。「捨てる勇気」

原発が太平洋側にあってよかったな。
日本海側だったら、韓国がわめきたてるだろう。
その前に、まず「日本海」という名称を使用するなと抗議するかもしれない。
この混乱に乗じて、中国は、尖閣と沖縄は歴史的に自国の領土だと主張するついでに、九州にまで侵攻してくるかもしれない。
それを見て、負けじとロシアは、北海道に侵攻してくるだろう。
が、すでに日本列島は、放射性物質に汚染され尽くしているから、ザマーミロである。

で、冗談はともかく、漁業は、あきらめてもらう。
これまで原発立地に協力し、たんまり補償金をもらってきたんだからしょうがない。
国民は、あらゆる海産物を食べられなくなるし、さかなクンは、絶望のあまり悶死するかもしれないが、「原子力発電は国策」だから、つらくてもあきらめるしかない。
日本は、自爆テロ国家として(北朝鮮やサブプライムローンなんてカワイイもんだ)、世界を震え上がらせてやるのだ。

そのうち、中国のどこかの原発がメルトダウンするだろう。
世界にとっては、遅かれ早かれ、同じことだ。
それまでは、知らんふりして、元気に暮らす。
復興ニューディールの槌音も高らかに。

4.12.2011

単位のこと

放出された放射性物質が、最大で1時間当たり1万テラベクレル。
って・・・単位が、どうも、ワケわかんないんだけれど。
1×1,000で、キロ<メガ<ギガ<テラ<ペタ<エクサ です。
単位とすれば、10ペタベクレルというべきところか。
10,000,000,000,000,000ベクレルです。
漢数詞では、1京ベクレル。(間違いないよね?)
それにしても、これ、1時間当たりですよ。

国民に対する裏切り行為

福島原発をチェルノブイリと同じ「レベル7」に。
政府は、事故発生から1か月もたって、ようやく認めました。(しかも、選挙後に、です)
炉心溶融が起こり、大量の放射性物質が放出されていた事故を、過小評価し、「安全だ」と、繰り返し情報操作してきました。
これは、国民に対する裏切り行為です。

原子力安全委員会は、原発から北西24キロにある浪江町の地域で、1年後の累計線量を313.9ミリシーベルトと推計しました。
これは、屋外に8時間、木造家屋内に16時間いるという条件での推計だそうです。
仮に、屋外に24時間いた場合は、523ミリシーベルトに達するといいます。
これじゃ、放射線障害になってしまいます。

「ただ、安全委は放射性物質は今後、時間の経過とともに減少するほか、雨などで地表から洗い流されることでも減るとしている。」(4月12日時事通信)

いまも、放射性物質は、放出され続けています。
炉心の冷却も、強い余震のたびに中断している状況のなかで、くだらない気休めを言ってほしくありません。
今後、放射性物質の放出量が減るなんて、楽観的な予測をして、これ以上、健康被害を拡大させないでください。

4.09.2011

本当の災厄

7日深夜の地震で、青森県の東通原発では、外部電源(2系統)がダメになり、非常用電源に切り替えたが、翌日午後2時頃、燃料漏れがあって停止してしまったという。
そのときには、外部電源が復旧していたので、事故にはなりませんでしたが、これでは、まるで綱渡りです。
宮城県の女川原発でも、使用済み核燃料貯蔵プールの冷却系統が自動停止し、再起動するまで最大1時間20分間、冷却機能が喪失していたという。
福島原発の事故は、「想定外」ではなく、運が悪かったのでもない、起こるべくして起こったと言えます。
それは、現在進行中であり、本当の災厄は、これからやってくるのではないでしょうか。
そして、それは、わたしたちが、みずから招いたものなのです。

4.07.2011

気にしてもしなくてもいずれ死ぬ?

「魚介類に対する放射性物質濃度の基準も、他のものを食べず、その魚だけを一生食べ続けたら、ガンになるリスクがわずかに増えるという程度ものだ。」(ロバート・ゲイル博士)

そうか、そうか、そもそも暫定規制値なるものが、バカげている。ということだな。
じゃ、いったい適正な規制値とは、いくつなのだ?
だいいち、20年後、ガンになる確率なんて、誰にもわからないだろう。
悪性新生物は、死因の第一位だ。
人は、いずれ等しくみんな死ぬ。
身も蓋もなし。

しかし、コウナゴだけを食べるわけじゃありません。
他の魚も肉も野菜も食べるし、水も飲みます。
コウナゴだけを考えてもダメです。
ちなみに、1キロ当たり4,080ベクレルのコウナゴを、毎日100グラムずつ食べるとして、シーベルトに換算すると、年に約3.3ミリシーベルトになります。(某サイトの計算による)
これをいったい何倍すれば、実際に近い被曝量になるのでしょう?
生きていれば、呼吸もし、外を歩きもする。風の日もあれば、雨の日もある。
そもそも、自然放射線があるし、人為的にX線やCTを受けることもあります。

祈るしかない

ある福島原発関係者へのインタビューで、「山登りにたとえれば、何合目ですか?」という問いに対して。
「まだ、登ってもいません。山を見上げている状況です」という答え。
事故発生から、もうじき1か月になろうというのに・・・
「モグラたたき」のような作業を繰り返していますが、結局は、上から水をかけて冷やしているだけで、1~3号機全部、燃料棒が露出していて、高濃度の汚染水がどこかへ漏れ続けているわけです。
建屋内や格納容器の損傷が、どの程度なのかもわからず、あまりに危険で近付けないため、確認すらできない状態といわれています。

いや、ここで感じましたが、もしかして、東電では、ある程度、確認はできているのではないか。
つまり、おそろしいことですが、福島原発を病人にたとえれば、
エボラ出血熱のような感染症で末期状態、手の施しようがなく、対症療法しかないものの、安らかに息を引き取る(安楽死させる)こともできず、ウイルスをまき散らすのを止められない状態だと。
実は「お手上げ」であると。
しかし、もちろん、そんなことは口にできません。
だから、何かを続けるしかないのです。
そうでないことを祈ります。
というか、祈るしかありません。

4.06.2011

基準を変えれば「安全」

聞くところによると、政府は、一般人の年間被曝限度量(1ミリシーベルト)の引き上げを検討しているようです。

枝野官房長官「現在の基準値は短期間で大量の放射線を受ける場合の安全性を示している。放射性物質を長期間受けるリスクを管理し、別の次元の安全性を確保する上でどのくらいが退避の基準になるか検討している状況だ」(6日午前の記者会見)

やることがメチャクチャだろ。
言っている意味もわからない。
「長期間受けるリスク」を言うなら、むしろ、逆では?
長期間被曝する状況だからこそ、逆に、限度量は、低く設定されているのではないのか。
CT撮影などの場合、短期間(数回)だから、被曝リスクと医療上のメリットを考えて、10~20ミリシーベルトでもやむ得ないとされているわけでしょう。
原子力安全委員会では、政府からの諮問を受けて、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告をダシに、被曝限度量の年間基準値1ミリシーベルトを20ミリシーベルトへ引き上げるようです。
「安全」のための基準が、そのときの都合で変更されるのなら、それは、基準でも何でもありません。

チェルノブイリを見て、当時のソ連は、ひどい国だと思いましたが、もっとひどい国に、わたしたちは暮らしていました。

放射性物質拡散予測

ドイツ気象庁のサイトを見ると、風向きが変わったらしく、7日は(8日も)太平洋側に流れるようです。
予測では、北東へ流れますので、北海道の東太平洋側をかすめる感じです。
とりあえず、西日本では、ほっとしているでしょう。
日本の気象庁も、拡散予測を公開するようにしたみたいですが、いったいどこに載せているのか、わかりません。

4.05.2011

勇気があれば

福島原発の事故は、対処不能の深刻な事態と思われます。
放射性物質の漏出を止めることはできず、炉心冷却の目途も立っていません。
事態は、悪化の一途だというのに、連日テレビに登場する、原子力工学や放射線医学や原子力防災の専門家とされる人たちが、口をそろえて「安全だ」「ただちに健康に影響はない」「冷静に行動を」と唱える様子は、まるで催眠術か、新興宗教の勧誘のようです。
官房長官に至っては、意味のない言葉を淀みなくしゃべり続けるロボットのようです。
火事のように炎や煙が迫ってくるわけでもありません。
放射性物質は、味も匂いも痛みもなく、どれだけ被曝したのか、それが将来にわたって、どんな影響があるのかもわかりません。
放射線業務従事者は、線量計を身に付け、時間単位で作業しますし、健康管理も行われますが、一般住民には、何もありません。
だから、政府の広報やマスコミ報道を信じるしかないのです。
誰か、最悪の事態を想定したシミュレーションを提示してくれませんか。(勇気があればだけれど)

4.04.2011

知らしむべからず?

福島原発からの放射性物質拡散予測を、ドイツやノルウェーなどの気象機関を通じて、間接的に知ることができます。
これらは、IAEA(国際原子力機関)の要請に基づき、日本の気象庁の観測データを元に、放射性物質が拡散する様子をシミュレーションし、連日、天気予報サイトで公開しているものです。
国境を越えて、放射性物質汚染の怖れがあるときに行われるものですが、なぜか、日本政府は公表していませんでした。
自国民には、知らせたくなかったらしい。

ふざけんな。
羞ずかしくないのか。

枝野官房長官「少なくとも隠す必要のない情報。誤解を生まない説明を付けて、公表すべきだった」(4日午後の記者会見)

誰も、「誤解」なんかしません。
安全だと思われていた西日本にも、放射性物質が降り注ぐということです。
また、農作物や水から、放射性物質が検出されるかもしれません。
そして、「ただちに健康に影響はない」という空疎な言葉を耳にするわけです。

さっさと決めろ

原発事故の際に、屋内退避する意味は、内部被曝を防ぐことが目的です。
ガンマ線は、何もかも透過してしまうので(コンクリート造りなら多少防げるらしいですが)、外部被曝を考えると、木造家屋の中にいても、意味がないからです。
一方、内部被曝を防ぐには、外気が流入しないように密閉状態を保つ必要があります。
が、実際は不可能でしょう。(核シェルターでもなければ無理)
48時間が限度だという話もあります。(外気と入れ替わってしまう)

政府の発表によれば、福島原発の放射能漏れを止めるには、「数か月」を要するそうです。
「数か月」というのは、1~2か月程度ではなさそうです。
でも、半年、1年の単位でないとすれば、3~5か月というタームでしょうか。(アテになりませんが)
そう考えると、原発周囲の20~30キロ圏の屋内退避で、毎時30マイクロシーベルト付近の数値を計測している地点などは、どういうことになるのでしょうか?

 毎時30マイクロシーベルト×24時間×30日×5か月=108,000マイクロシーベルト=108ミリシーベルト

上記は、文部科学省のモニタリング(空間線量)ですが、線量が高い北西方向でも、かなりのバラつきがあり、ひとケタの数値の地点もあります。
しかし、放射能漏れが継続し、放射線量は、風向きや天候に左右されるわけですから、大きな数値を目安にすべきでしょう。
外部被曝と内部被曝の問題もありますが、それを横に置いても、累積線量は、こんなもので済まないような気がします。
放射能漏れ対策の見通し(その期間がアテにならないとしても)が出たところで、すみやかに避難指示を出すべきではないでしょうか。