いつまでも生きがいとか言ってんじゃねぇよ (^^)/

7.31.2010

ソフトバンクの営業

iPhone4 は、予約してから、18日目に入荷の連絡が入りました。
意外と早かった。
受け取りに行って、手続きの最中に、ワイヤレスゲートの営業を受けました。
380円/月のところ、キャンペーンで2か月無料。
道内は、アクセスポイントがまだ少なく、あまりメリットはないが、利用者が増えないと、エリアも広がらないので、無料期間の2か月だけでも、ご協力願えないか? という趣旨。
いや、Pocket WiFi を持っているので・・・

ソフトバンクのフォトビジョンの営業も受けました。
これは、ふつうのデジタルフォトフレームとは違うんです。云々。
いや、iPad を持っているので・・・

実は、そこはヨドバシの店舗で、担当者は、ソフトバンクの人でしたが、ワイヤレスゲートの380円/月で使い放題は、ヨドバシの商品で、ソフトバンクの WiFi スポットと重複するのに、どうしてだろう? と、あとで思いました。
何か契約上の取り決めがあるのかもしれません。

じんわりと

いざ自分の持ちものになってみると、店頭のデモ機とは、感触が違います。(気分的に)
iPhone4 の話。
本体と付属品が、小さな、シンプルな箱に収まっている。
「さあ、楽しんでください。」という、アップルのメッセージが、聞こえてくるようです。
箱上面の写真は、iPad のパッケージと同じデザインではありません。
iPad が iPhone のデカイやつと言われたから、変えたのではなく、本体側面の美しいラインを強調したかったのでしょう。
さっそく、液晶画面に保護フィルムを貼りました。
ケースに入れるにもかかわらず、背面にも貼りました。
じんわりとうれしい。

7.27.2010

亀山訳ドストエフスキー

亀山郁夫訳ドストエフスキーは、「カラマーゾフの兄弟」、「罪と罰」に続いて、「悪霊」に取りかかっているそうです。
おお、そうか。そうだろうな。
「白痴」でもよかったが、ちょっと退屈だし。
言うまでもなく、ドストエフスキーは、世界文学史上、もっとも偉大な作家です。
なかでも、五大長編に至っては、作品じたいが、作家の意図を超えるようなスケールになります。
「未成年」などは、ワケのわからないものになってしまいました。

「悪霊」は、どろどろした物語に入る前に(入ってからも)ステパン・ヴェルホーヴェンスキーという人物(ピョートルの父)のどたばたに、しばらく(その後もしばしば)付き合わされます。
これが、結構わずらわしいのですが、このピエロ役は、俗っぽいながらも、かなりの教養人で、愛すべき人物です。
もちろん、彼は、舞台の前景にすぎません。
物語が進むにつれて、後方から、忌まわしくも魅力的なキャラクターが、次々と立ち現れてきます。

光文社の果敢な(無謀な?)企画に、感謝したいところですが、実は、この古典新訳文庫シリーズの翻訳には、問題が多いという。
要するに、誤訳が多い。
野崎歓訳「赤と黒」や森田成也訳「レーニン」は、「誤訳博覧会」と揶揄されているそうです。
亀山訳「カラマーゾフの兄弟」は、異例のベストセラーになり、勝てば官軍といったところですが、ロシア文学者木下豊房氏が、原文と先行訳(米川正夫、原卓也、江川卓)と比較し、誤訳の部分だけでなく、意味を伝える日本語の文章として、適切なのかという点にまで踏み込んで批判しています。

一連の批判では、亀山郁夫という翻訳者の仕事がズサンだったというだけでなく、数多く発表されている作品解釈の著述に対しても、多くの問題点が指摘されています。
ロシア文学者であり、東京外国語大学の学長でもある彼は、これらの批判にきちんと反論して、学問的良心を示してほしいと思います。

7.23.2010

よいところとよくないところ

iPad を使って1か月。
よいところとよくないところを一点ずつ。
はじめに、よくないところ。
なんといっても、重量の問題。
680g という数値以上に重たく感じるのは、なぜだろうか?
これが、ミニノート(ネットブック)だったら、誰も重いなどとは言わないだろう。
ふつうパソコンは、どこかに置いて操作するが、こうした情報端末は、手に(しかも片手に)持つからだ。
iPad は、もともとパソコンとスマートフォンの中間に位置する商品だが、屋外で持ち歩くような使い方は、あまり合わないのだ。
屋内で、気軽なブラウジングやゲーム、読書、あるいは、ビジネスで、打合せや顧客への商品説明など、移動を嫌わず持ち歩けるPC端末の用途が合っている。
また、学校などで、教科書や視覚教材のすべてをこれに取り込んで使用することも可能だろう。
重いより軽いほうがいいに決まっているので、いずれ技術的に、もっと軽くすることはできるに違いない。

次に、よいところ。
これはやはり、動作が軽快なところだ。
非常に俊敏で、気持がいい。
タッチパネルを嫌う人も多いが、これだけキビキビ反応すると、文句は出ない。
操作が直感的といわれるが、インターフェースのすばらしさは、アップルのお家芸であり、アイデアと考え抜かれた配慮が、細部に渡って貫かれている。
これは、他メーカーが真似しても、似て非なるものなのだ。

7.21.2010

ど~いたもんじゃお

iPhone4 の受信障害は、購入者に専用ケースを無償で提供することになったようです。
純正バンパーだけなのか、それとも、市販のケースでもよいのか、わかりませんが、純正バンパーには、クリア(透明)タイプがありません。
せっかくの美しいデザインを覆い隠してしまうので、そこが残念です。
いずれにしても、持ち方に注意するか、ケースに入れて使うか、ということですね。
ど~いたもんじゃお(土佐弁)

長い夢

いまこの現実が現実でなく、長い夢だとしたら。
そういう発想は、昔からありました。
「胡蝶の夢」(荘子)がそうです。
長い夢から覚めたとしても、また別の夢のなかにいる。
裏返せば、現実か夢かと区別したところで、意味がなく、いずれも現実である。といえばいえます。
自分にとって、世界は、多層化している。
いつも定期的に、継続的に、あらわれる世界を、現実と規定しているわけです。
しかし、それをしないと、精神は、混乱し、ついには、破綻してしまいます。

7.17.2010

うっかり薦められない

「インセプション」を見ました。
わたしは、とてもおもしろかったのですが、妻は、疲れたそうです。
隣のオヤジは、居眠りしていました。
夢のなかで夢を見るという、夢の階層が同時進行するところと、主人公コブ(ディカプリオ)の過去が明らかにされるところが、編み合わせられて、複雑な構造になっています。
監督(クリストファー・ノーラン)自身のオリジナル脚本だというからスゴイ。
アクションシーンが多すぎるのは、ご愛嬌なので、そこは無視しましょう。
序盤の展開で、ちょっとガマンが必要なので、うっかり人に薦めるのは、勧められません。
渡辺謙は、堂々としてシブかったです。

7.16.2010

説明してもおもしろくない

アップルのエンジニアが、iPhone の設計初期段階で、受信問題を引き起こす可能性を指摘していた。と、アメリカで報じられました。
そのとき、スティーブ・ジョブズ(アップルCEO)は、「それが iPhone の仕様だ」と言ったとか。

ネットの書き込み。
「しようならしようがない」
「本物のジョブズはもう亡くなっている?」
「いまのジョブズはアンドロイドか」

Google の携帯電話OS「Android(アンドロイド)」に掛けてみたかっただけのジョークです。
(説明してもおもしろくない)

咳するソバ屋

ある日の出来事。
座ったテーブルがよくなかった。
そこから厨房のなかが見通せたからだった。
そば屋のオヤジは、咳をしていた 。
それもかなり頻繁に。
カゼをひいていたのか、喘息持ちか、それとも喫煙者で、慢性気管支炎の発作に襲われていたのか?
いずれにしても、麺を盛り付けながら、顔をそらすでもなく、咳をしていた。
まるで、咳をするのが、調理行為の一部であるかのように、平然と、躊躇もなしに。

わたしは、テーブルをひっくり返して、その店を出るべきだったが、そんな勇気もなく・・・
キモい~
よりもキタね~
不衛生じゃねえか
なんか病気うつったらどうすんだコノヤロー
と、心のなかで毒づきながら、オヤジのツバが掛かったザルそばを食ったのだった。
人間最後は免疫力だと思いながら。

どの店とは言わないが、遠軽駅前のそば屋だよ。
わたしは神経質なんだよバカヤロー

7.15.2010

何が嫌いかより

「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れ」

「何が嫌いか」を語るほうが、力は入ります。
こんなものをこんなにも嫌いな自分を語って、他人の共感も得、気分もスカッとし、自己肯定も実現できるなら、力が入るはずです。
とはいえ、あんまり自分を語ってしまうと、相手はうっとうしいでしょう。
同じ語るなら、「何が好きかで」語るほうが、聞く側の精神衛生は、よろしいですね。
いつまでも、聞いてくれるかどうかは、別問題ですが。

7.14.2010

だから気持いい

宮崎駿の「iPad は自慰行為そのもの」という批判が、話題になっています。
一方的な決めつけですね。
仮に、そうだとしても、「自慰行為」だから、気持がいいってところがあるかも。
ロリコンアニメは、自慰行為じゃないのか。

「誰でも手に入るものは、たいしたものじゃないという事なんです。本当に大切なものは、i ナントカじゃ手に入らないんです」
「あなたは消費者になってはいけない。生産するものになりなさい」

甘ったるいメッセージの宮崎アニメは、誰でも手に入れることができるので、たいしたものじゃありません。
それをさんざん消費させて、自分は稼いでおきながら、よくそんなことが言えるものです。
「鉛筆と紙」で生産しようと、それを作品に仕上げるのは、現代のテクノロジーと商業主義です。
アニメ作家が、天にツバするような人生訓を垂れちゃいけません。

7.13.2010

「存在論的な孤独」について

最近、買物をしすぎて、内省的になっているわけではありません。
「存在論的な孤独」という表現が、当てはまるのかどうか、わかりません。
ただひとりでいるという孤独ではなく、家族や友人や社会のなかにあっても、逃れられず感じる孤独のことです。

不安といってもいいのかもしれませんが、恐れよりも、寂しさや悲しさの感情なので、やはり、孤独と表現するのがふさわしいと思います。
自分の体が、暗黒の宇宙空間にぽつんと浮かんでいることを想像してみます。
その感覚に近いかもしれませんが、少し違う気もします。
何億年という時間軸の一点にあって、一瞬明滅して消える存在。
想像するのは、なかなかむずかしいですが、それに近いかもしれません。

自分自身はもちろんですが、ごく身近な家族についても、そうした「存在論的な孤独」を強く感じるのです。
意味もなく生まれて、意味もなく生きて、意味もなく死ぬ。
その間、意味もなく、苦しんだり、悲しんだり、憎んだり、ときに、楽しんだり、喜んだり、愛したりするわけです。

「存在論的な孤独」は、癒やされることはありません。
虚無の淵を覗いてしまった者は、そこから逃れられなくなります。
目を逸らし、見ないふりをしていても、常に、視野の隅に、それはあります。
なぜなら、虚無は、外にあるものではなく、内にあるものだからです。
なんちて。

おいおい

iPhone4 に受信障害があるということで、アメリカの消費者団体専門誌コンシューマー・リポートが「推奨しない」と発表しました。
本体側面の金属枠がアンテナになっているのですが、左下の切れ目部分を触ると、受信状態が低下するという。
ソフトの問題ではなく、ハード上の設計ミスではないかと言われています。
当面、解決策としては、そこを触らないように持つか、ケースに入れるしかないそうです。
おいおい。
おいおいおい。

7.11.2010

極端なヘソマガリ

極端にヘソマガリなことを書く。(今回は、です・ますじゃないほうが、感じが出ると思います。)
「人間が好きだから」という言葉を聞くことがある。
たとえば「なぜこの仕事を選んだのか?」という問いに対する答えとして。
つまり、人と関わる仕事に、自分は、やりがいを感じている。という意味だ。
同時に、そのことには意義があり、他人からも認められるべきだ。という意味も含まれる。
この例で言わせてもらうと、悪いが、わたしなら「人間は嫌いだ」し、できるものなら、なるべく人と関わらないですむ仕事に就きたい。と願う。

もちろん、人はひとりでは生きられない。
そんなことは、自明であって、人がいてこそ自分がいる、とか、人は支え合って人になる(人という字を見よ)なんて、鳥肌が立つようなことを言われたくはない。
世の中には、いろんな人がいて、いろんな考えを持っている。
話が合う・気が合うというのは、ほとんどの場合、どちらかが合わせているだけだ。
相手に好意を持つのは、ほとんどの場合、相手がこちらに合わせてくれている間だけだ。
じゃ片想いはどうなんだ? というバカげた問いがあるかもしれない。
きみが想っているのは、相手のことか、自分自身のことか、よく考えてみるしかない。

「人間が好きだから」この仕事を選び、けなげに頑張っているボク(アタシ)は、いい人間だし、他人から認められないはずがないし、愛されないはずもない。
甘えて他人にもたれかかるような底意を感じて、わたしは、不快になるのだった。

7.10.2010

転がる日

佐々木俊尚「電子書籍の衝撃」を読む。
類推するに、出版業界だけでなく、新聞に代表されるマスメディアの業界も、これまでのように、コンテンツにあぐらをかいた経営ができなくなる、ということがわかります。
もともと、そのコンテンツも、直接、自分たちが生み出しているわけではありません。
ほとんど外注しているだけでしょう。
あぐらの下の座布団をひっぺがされて、転がる日が迫っています。

ニュースだって、横並びで、どこも同じ内容を配信しているのだから、特に新聞なんて、わざわざ購読する必要はありません。
購読者は、減る一方で、平行して広告も減るでしょう。
広告減少の原因は、経済状況の悪化だけではなく、ネットに移行しているのだと思います。
いずれ傾く新聞社が出始め、テレビ局も地デジ以降、再編が起こるかもしれません。

テレビについては、言いたいこともありますが、あまりに不穏当な意見なので、控えさせていただきます。
というより、口にする(書き込む)勇気がないだけです、実は。

アップルへシフト

iPhone を買うことにしました。
それは、つまり、予約しただけです。
いつ入荷するかわかりません。
iPad をいじっていたら、これは、やはり携帯しなければならないと。
ただ、携帯したい機能だけなら、B5サイズのタッチパッドを持ち歩くのは、ちょっと面倒だ。
そこは、やはり、スマートフォンだろう。
順番が、逆なような気がしないでもないが。
でも、iPad は、携帯するためのものではなく(携帯は容易なので、ネットブックのような使い方ならいいけれど)、部屋のなかで、あるいは、オフィスで、自由にいじくり回すところに、パフォーマンスを発揮するのではないか。
それはともかく、早い話、欲しかっただけ。新しい iPhone4 だしね。
パソコンも、Windows はつまらないし、アップデートするたびに鈍重になるし、いずれマックに換えようか。
と、思ったりしています。

7.08.2010

思えば懐かしい

iPad のために、イー・モバイルの Pocket WiFi を買いました。
札幌市内と、特にJR車内で使えれば、ということで買ったのですが、JRも、旭川から東は、エリア外です。
いや、北見、網走周辺は、使えると思いますが。
遠軽は、エリア外ですが、こちらにいるときに、屋外で使うことはありません。(家のなかでは、無線LANで接続)

昔、ダイヤルアップで、パソコン通信などというものをやっていた時代があったなんて、信じられない。
そのさらに昔、わたしが初めてパソコンを買ったときには、まだ漢字変換ができなかった。(カタカナ入力はできる)
FEP(Front-end Processor:日本語入力システム)が装備されていなかったのだ。
それなのに、住所録などを作ってみたりした。
もちろん、使いものにならなかったが。
それから、時代はどんどんくだり、インターネットが普及し始め、個人のウェブサイトも増えてくる。
当時は、直接、HTMLで書くのが普通だったが、全然むずかしいことなどなくて、テキストと手製のGIF画像で、まったくシンプルなものだった。
思えば懐かしい。
という話を、以前にも書いたな。
老兵の繰り言みたいな・・・。(戦ってはいませんが)

7.07.2010

電子書籍の衝撃

「電子書籍の衝撃」という本を読んではいないのですが、タイトルだけ、拝借させてもらいました。
何が変わるといって、そりゃ何から何まで変わるでしょう。
個人的には、当然ながら、紙の媒体のほうを好んでいるので、これからの変化に、不安を抱いています。

さりとて、電子化の流れは、止めようがありません。
iPad を黒船などと表するなら、アマゾンは、大津波のようなものです。
これは、確かに、ブックリーダーの機能的な優劣(iPad か Kindle か)の問題ではありません。
アマゾンのように、膨大な作品数と容易な入手方法という、電子書籍のプラットフォームを用意して、いちはやく市場を制したものが、生き残るというわけです。

日本語の壁などありません。
日本の出版業界は、横並びで全滅するのを待つだけなのでしょうか。

サマージャンボ全国一斉発売

宝くじ発売日に行列するという意味がよくわからないのですが・・・
それはさておき、言うまでもありませんが、宝くじは、まず買わなければ、当たる確率は、ゼロです。
しかし、買っても、当たらないのが、宝くじ。
買わなければ当たらないが、買っても当たらない。
では、よい子のみなさんは、どうすべきか?
宝くじを買う(捨てる)カネがあるなら、別のことに回しましょう。

ところで、たとえはよくないですが、わたしたちが、いずれガンで死ぬ確率というのは、相当高いでしょう。
その確率と、宝くじに当たる確率を比較してみると(データがないので、ただのイメージですが)、圧倒的に前者の方が、高いと思われます。
言い換えれば(言い換えなくても)ほとんどの人は、宝くじを一生買い続けても、当たる前に、ガンで(もしくは別の原因で)死んでしまう。
つまり、自分がいまだにガンにならずに生きているということは、間違いなく、宝くじにも当たらないということです。
圧倒的に高い確率にも、当たらないのに、圧倒的に低い確率に当たるわけがありません。(どういう理屈だ?)

東京の西銀座チャンスセンターの行列は、約850人。
先頭は、80歳のおじいさんだったそうです。
ジイさん、80まで生きちゃったら、宝くじに当たるわけねえよ。

7.04.2010

久々に

服部真澄「KATANA」を読むことに。
デビュー作「龍の契り」と2作目「鷲の驕り」は、なかなかの作品でした。
なにより、おもしろかった。巻置く能わず、というやつです。
その後、なんだか、らしくないテーマの作品が続きましたが、これは、久々に感じるものがあったので、買いました。
さて、どうでしょう?
ところで、エッセイ「骨董市で家を買う」は、愉快でしたよ。

7.01.2010

ファッキン・エージア

社内の公用語を英語に?

「世界企業に脱皮するには英語が必要と判断した。」(楽天)

楽天といい、ユニクロといい、品のないことです。
英語が必要なことは、当たり前。
必要なときに使えばいいと思うが。
フランスやドイツやイタリアでも、そうするのかい?

やぶれかぶれの結果

日本中「感動」一色になったので、あえてヘソマガリなことを書きたい。
FWではない本田をワントップで起用するという奇策を選択した時点で、これまで準備してきたことは、すべて的外れで、ムダだったということになります。
しかも、それでグループリーグを勝ち抜いてしまったということは、代表メンバーの選択が、根本的に間違っていたことの証明でしょう。
岡崎(ごっつあんゴールはありました。あれは本田が打つべきシュートです)や玉田の途中出場は、岡田監督のアリバイづくりみたいなものではないか。
当事国にとっては、どの対戦も、手に汗握る展開でしたが、傍から見れば、退屈な試合だったに違いありません。
ゴール前で、アイデアも決定力もないのは、あいかわらずなのに、FKを2本決めたことで、勘違いしたところがありました。
だから、日本代表が強くなったわけではありません。
グループリーグを勝ち抜いて、ベスト16になったという、当初のノルマをクリアしただけです。(やぶれかぶれの結果)

ヘンテコな社説のなかで、正鵠を射た表現もありました。

「イタリアやフランスの場合、1次リーグで「負けた」ことに世界は驚いた。格の違いは歴然としている。」